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説教

早稲田教会で語られた説教をテキストと音声データで掲載します


2018年1月14日

「独りでは生き抜けない」 コリントの信徒への手紙一 12:22〜26
 古賀 博牧師

 
〈聖書〉コリントの信徒への手紙一 12:22〜26

22:それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。23:わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。24:見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。25:それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。26:一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 

 

 ○コリント教会の抱えていた問題
 今日の「コリントの信徒への手紙一」の宛先であるコリント教会は、パウロの第二伝道旅行によって成立し、短期間に急成長を遂げた群れでした。当初は人数も少なく、霊的にも貧しかった教会でしたが、成長と共に、同時代にあって周囲からは人的・霊的な賜物に恵まれ、また優れた教会と賞賛を得るようになりました。当時のキリスト者たちが憧れる、そんな教会だったと聞きます。
 ところが、この群れのは幾つもの問題を抱えてもおり、集会内に著しい混乱が生じていました。数々の問題の内、コリント教会で最も深刻であったのは、集う人々が教会内で審き合い、一方的にある者たちを切り捨てているという現実でした。
 このようなコリント教会の実状を伝え聞いたパウロは、コリントの教会に向けて勧告の手紙を書いて、福音への立ち返りを祈り、求めたのでした。このようにして記されたのが、「コリントの信徒への手紙一」です。
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 さて、今申し上げたように大きな混乱や問題を抱えていたコリントの教会。幾つかの分派が教会内に存在し、どちらの信仰が本物であるかを言い争っていました。それらは特に、それぞれの賜物の評価をめぐって深刻さを増していました。
 賜物とは、神によってそれぞれに与えられた個性、その人らしさであるといって良いかと思います。当然、賜物にはさまざまな違いや多様性、幅というものがあります。ところが、これこれこういった賜物は認めるが、自分たちの評価基準に達していない個性や能力は認めない、あるいは自分たちの評価基準でどちらの賜物が優れているのかを決定し、評価基準に適合しているものを重んじる、この基準に照らして信仰の大きさ・深さをはかる、そんな状況が生じていました。
 コリント教会では、次第にプラスの評価を得た者たちが教会の実権を握ることになりました。彼らは、賜物に欠けた人々を信仰の弱い者と勝手に判断し、こうした人々を容赦なく切り捨て、貶めていました。優れた賜物・強い信仰をもっている、そう評価できる者だけで教会を形成し、活動していこうと彼らは考えていたのです。このようなコリント教会の混乱と切り捨ての実情を伝え聞いたパウロは、群れの現実を深く悲しみつつ、しかしなおもこの群れをも愛して、コリントの教会をキリストの福音に立ち返らせようと、この手紙を書いたのでした。
 
○キリストのからだとしての教会
 こうした手紙において、パウロの教会観を如実に示しているのが、今日の12章です。長い箇所なので終盤だけを取り上げましたが、ここでパウロは「からだ」の比喩を用いて、主にある共同体(教会)のあり方を印象深く宣べ伝えています。
 私たちのからだは多くの部分で成り立っている、その一つひとつの働きによってからだ全体は構成されている、だからどこは必要で、どこは不必要だということはできない、全ての働きが相まってからだが正常に機能するように、イエス・キリストのからだなる教会も同じだと、パウロは語りついでいます。
 こうした主にある共同体(教会)の姿を示したパウロは、今日の箇所、22節以下に次のようにまで宣べ伝えています。22節以下を再度読みます。
 「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」。
 ここに語られている見解は、この世の合理性に立っては思い至ることのできない感覚ではないでしょうか。人間的な思いの帰結は、まさにコリント教会を支配する人々の考え・行いそのものです。自分たちの判断を絶対化し、人にも優劣をつけ、弱い者・欠けたる者・小さい者は切り捨てていきました。こうしたことが教会を強化することにつながり、主に喜ばれることだと、彼らは信じていたのです。
 このようなコリント教会に対して、パウロは、主イエスの福音に立って勧めています。主イエス・キリストの福音の恵みに与る者たちの関わりにおいては、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要」だ、とまで主張しています。
 
○「いかに生き残るか」
 新年には、新聞の紙面をさまざまに眺めながら、今年、考えるべき問題についてのキーワードやテーマを探すことを常としています。そうした中、1月3日の『朝日新聞』の「文化・文芸」欄に「いかに生き残るか」というコピーを見つけました。それを見て、私はある文章を思い起こしながら、はっとさせられたのでした。
 この論考には、昨年ベストセラーとなった『応仁の乱』(中公新書)などが取り上げられています。文中に『応仁の乱』の著者・呉座勇一さんの言葉が引かれていました。「応仁の乱」は、知名度は高いけれども、そんなに簡単に要約できない戦乱だとのこと。11年にも亘って全国を巻き込み、多くの大名たちが終戦の努力を積み重ねるも、ことごとく失敗。結果、ひとりの勝者も生まずに終わったというのです。こうしたあり方と現代とが重なって見えると記されています。すぱっと勝負が決まるような合戦は例外、“実際は多くがぐずぐずでぐだぐだだ。少数の例外を参考にしてはいけない。閉塞した社会状況は普通のことなので、それをどう我慢して生き残っていくか。出口の見えないトンネルを歩き続ける覚悟をするしかない”。“どう我慢して生き残っていくか”という言葉が心に残りました。
 
○地方教会の現実
 昨年末から年始にかけて、クリスマスカードや年賀状と共に、出身教職や関係教会からお手紙や週報や情報などが寄せられました。
 奄美大島の名瀬教会の青山実牧師からは短いお手紙をいただきました。この教会が捧げた献金へのお礼に加えて、近隣教会の様子が記されていました。青山先生がかつて仕えていた徳之島伝道所では、昨年の春に新たな牧師を迎えたそうですが、その牧師が年度の途中で辞任を申し出て、今後どうするか、方針が立たないとありました。徳之島伝道所は、会員10名、礼拝出席4名の小さな群れ。九州教区や鹿児島地区からの援助を受けて伝道が続けられていますが、期待の若手牧師が1年も保たずに去ってしまうことになったというのです。
 母教会の下関丸山教会からもカードと週報が届きました。高齢化の著しい母教会、これまでは何とか10人台後半の礼拝出席を保ってきましたが、週報を見ると出席10名という週もあり、ついにここまできたかと思わされました。会員数も自立的に教会を維持できる最低ライン、そう一般に言われている30名を切って27名。心を痛めながら、母教会を憶えて深く祈らざるを得ませんでした。
 そんな年末年始、一つの希望を感じたのは『風』に掲載された高橋真人牧師の文章。高橋牧師は神学生時代、早稲田教会で1年奉仕してくださった、片岡平和さんの叔父さんに当たる牧者ですが、今回の『風』57号に自らが仕える福島県は会津地区の三教会・一伝道所のことを書いてくださっています。「教会ここにあり」に掲載された、「地方教会−生き残りのための模索」という一文です。
 この22年、会津坂下教会に仕えてきた高橋真人牧師。半分の11年は、無牧の猪苗代教会の代務者としても奉仕してこられました。次第に出席者の減っていく関係教会、また地区内の他の群れを考え、どうすべきかを皆で祈ってきたとのこと。
 近隣の会津本郷教会、川桁伝道所を含めて3教会・1伝道所が生き残っていくために、各教会の信徒たちと協議し、これら4つの群れを2人の牧師で牧会することを選択したとのこと。会員数は、会津坂下6名、会津本郷9名、猪苗代7名、川桁は隠退教師2名のみで礼拝を守り信徒0、これらの4つの群れに新田恭平牧師という若い補教師を招聘し、高橋牧師と二人で共同牧会を始めたというのです。
 大が小を飲み込むのではなく、小さき群れがそれぞれに立ちながらも、共に歩む仲間として対等に向き合い、互いを受け入れ・支え合うことを祈りつつの出発だとのこと。複数教職による共同牧会は、地区協議会での長年の交わりと対話の積み重ね、加えて東北教区の互助に支えられてのものであると記されています。
 記事に添えて、会津坂下教会で行われた合同礼拝の写真も掲載されています。年数回こうした合同礼拝が捧げられているようです。写っている10数名、4つの群れから集まった信徒・教職の笑顔がとても素敵です。3教会・1伝道所の信徒・教職・隠退教師の全部を合わせても僅か26名。それでも共に支え合い、生き残っていこうと、笑顔での宣教が、そのための模索が続けられているというのです。
 
○互いの熱で温め合い
 何度もお話しましたが、スルダン・シングの体験を思い起こしたいと願います。
 インドで活躍した伝道者スンダル・シング。インドの聖者と呼ばれ、19世紀末から20世紀初頭に、主としてチベット地方を巡回して伝道した方でした。
 このスンダル・シングがチベット山岳地帯を伝道旅行する中で経験した、極めて印象的なエピソードを聞いたことがあります。ある時を、シングは同行者・道案内人の2人と共に、計3人で山岳地帯への伝道旅行に旅立ったというのです。 旅の途中、気候の変化しやすい山岳地帯にあって、彼らは突然の猛吹雪に巻き込まれてしまったのでした。道を見失い、長時間彷徨い歩いた彼ら。ついに、3人の内、同行者が体力を著しく消耗させ、動けなくなってしまいます。
 残った2人、シングと道案内は、どうするかを話し合います。道案内はこのままでは自分たちも危ない、倒れた同行者は諦めて、まだ動ける2人で次の村を目指そうと強く主張しました。シングはというと、長く一緒に旅しつつ伝道してきた同行者をここに置き去りにはできない、そう穏やかに語りかけたとのこと。2人の意見は真正面から対立し、結局は道案内は共倒れは嫌だと単独で出発し、シングは倒れた同行者に寄り添い、吹雪きの中に留まったというのです。
 シングは動けなくなった同行者を背負い、必死に村を目指し、遅々たる歩みを進めたのでした。何度も倒れながらも同行者を背負って歩んでいくシング、長い時間をかけて、やっとふりしきる雪の向こうに村かげを認めることを許されます。
 ちょうどその時、ふと気づくと、彼らの足下には先にひとり行った道案内が倒れており、雪に埋もれ、既に冷たくなっていたというのです。
 シングは後にこう語ったそうです。“吹雪の中を彷徨い歩く中、自分も何度背負った者を捨てていこうと思ったことか。しかし、私は気付いた。背負う者、背負われる者、そうとは知らずに、互いの熱で、冷えたからだを温め合い、そしてわれわれは助かったのだ。凍えつつも互いの熱で我々は支え合い、助かったのだ”。
 
○単独ではなく、他の群れと共に
 私たちの現在は、呉座勇一さんの言うように閉塞した状況が顕著で、どう我慢して生き残っていくかが課題で、“出口の見えないトンネルを歩き続ける覚悟をするしかない”状態なのかも知れません。日本のキリスト教会の直面している困難さは、さらに深刻だと言わざるを得ません。そうした中に、共に支え合い、生き残っていこうと、笑顔での宣教や取り組みが地方教会において始まり、今この時も続けられている、その事実を深く憶え、励ましと示唆を受けたいと願います。
 パウロは主の福音に立って、私たちに語りかけています。「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要」であり、「体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合ってい」くことが大事。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」ことを、信仰の体験としていくように、と。単独で生きていくのではなく、他の群れと共に困難さの中を生き抜いていく、そのあり方に福音の真理を感じ取りたいと思うのです。