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説教

早稲田教会で語られた説教をテキストと音声データで掲載します


2020年4月12日

これからの人生」 ルカによる福音書 24:28〜32
 古賀 博牧師

 
〈聖書〉ルカによる福音書 24:28〜32

(28)一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
(29)二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
(30)一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
(31)すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
(32)二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。  

 
 今日、私たちは2020年度の「イースター礼拝」を迎えました。 
 実に辛く苦しい受難をつぶさに経験し、ついには十字架に磔られて、血を流しつつ、激しい痛みの中に命を失われた主イエス・キリスト。そんな主イエスは、3日の後に甦り、私たちに真の希望を与えてくださいました。
 今、とても大きな苦難の只中に置かれている私たちです。不安に押しつぶされそうな毎日を過ごしていますが、こうした中にもイースターが備えられたことの恵みに心から感謝したいと願います。
 今日の礼拝を通じて、主イエスの復活に感謝し、主の甦りから響くメッセージを深く味わい、心から神を賛美し、復活の主にこそ確かな希望を置いて新たな歩みを進めてまいりたいと思います。
 
 「ルカによる福音書」24章から、「エマオ途上の物語」の後半を今日は取り上げます。ここは、復活の主イエスと弟子たちの出会いを印象的に描いている物語の一部です。
 「エマオ途上の物語」は24章の13節から、次のように語り出されています。
 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった…
 この人こそイスラエルを解放するメシアである、そのように主イエスに期待をかけてきた弟子たち。そんな主は捕らえらて、十字架という極悪人にしか下されなかった刑罰によって処刑されてしまったのです。こうした事態に遭遇して弟子たちは絶望し、自分たちもきっと罰せられるに違いない、そんな恐ろしさを抱えて散り散りになっていきます。
 
 今日の箇所でエマオへと歩みを進める弟子たちも、他の弟子たち同様に、深い悲しみと大きな失意の只中にありました。暗い想いを抱え、遅々とその歩みを進める、こうした二人にいつの間にか近づき、共に歩む一人があったのだと、証言されています。
 この時、二人の弟子たちは西へ向かって歩んでいます。エマオというのはエルサレムの西方、約11キロにある町です。西方のエマオに向かって彼らは夕暮れに、沈みゆく夕陽を追いかけながら、次第に暗くなっていく静寂に歩みを進めています。
 この時の弟子たちの想いとはどんなものであったでしょうか。非常に暗い、どうしようもない失意や深い絶望感に支配され、その足取りも重かったに違いありません。全てが終ってしまった、そうした嘆きを払拭することはできなかったことと想像します。このような想いを抱えて歩む弟子たちが、次第に深くなっていく夕闇に包まれていきます。
 そのような時、いつの間にか誰かが自分たちと一緒に歩いている、このことに二人は気がつきます。そしてこの誰だか分からない人に、弟子たちはこの間に経験したエルサレムでの出来事を語ります。話をじっと聴いたその人は、二人に対して聖書全体について熱く解き明かしたというのです。
 日も暮れたので彼らは宿屋に入ります。一緒の食卓に着いた時、パンを祝福して割くその人の姿から、彼が甦りの主イエスであると気づきます。その時、イエスの姿は突然に見えなくなったと証言されています。
 
 甦りの主との出会いの経験を、弟子たちは24章32節にこのように証言しています。
 道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。
 「心が燃える」、こう証言されている経験は、失望・絶望に支配されていた心に、新たな希望が備えられ、生きていく力が与えられたことを示しています。
 ここで語られている心の燃え方、これはぱっと火がつく、即に燃え上がり、燃え尽きるというものではなく、炭火が長時間燃え続けるような、じっくりと静かなものだったと言われています。
 全てが終わった、そんな暗い暗い想いで歩んでいる道筋において、そっと寄り添うように近づいておいでになった復活の主イエス・キリスト。この甦りの主イエスに伴なわれることにより、弟子たちは心を燃やされ、絶望から希望へとその歩みの方向を次第に、少しずつ変えられていったのではないでしょうか。
 復活の主から彼らが与えられた希望は、ただその場だけのこと、再会の瞬間のことだけだったのではありません。後々まで弟子たちは、彼らのその後の一生に亘って、この時に与えられた希望の火によってあたためられ続けたのです。この時に心に備えられた熱はずっと保たれ、弟子たちは復活の主イエスに確かな希望を置いて生き続けていきます。
 
 弟子たちは、ただ生き長らえたというのではありません。聖霊の降臨を経験し、聖霊の励ましをも受けて、彼らは主イエスを宣べ伝える歩みへ進んでいきます。さまざまな困難、危険な迫害によって自らの命がを狙われる、そんな事態の中にも、今度は逃げることなく、果敢に復活の主を宣べ伝え続けていくのです。
 このようにして使徒へと変えられた弟子たちの働きにって、教会が誕生し、キリスト教は成立していきました。この出来事の決定的な出発が、復活の主イエスとの出会いでした。
 弟子たちの大きな変化を考え合わせると、エマオ途上で彼らが経験した心の燃え方とは、ぱっと火がつく、即、燃え上がり、燃え尽きるというものではなく、炭火が長時間燃え続けるような、じっくりと静かでありながら、確実なものだったと理解できます。復活の主イエスと出会いによって、弟子たちの心には生涯消えずに、常にあたため、励まし続ける希望の火が灯されました。そして、彼らはその火・希望により心を燃やされながら、見えない復活の主の伴いの内に全く新しい人生を歩んだのです。
 
 半月ほど前ですが、悦子から一つの歌を教えてもらいました。テレビを観ていてとても良い歌が流れてきたとのこと。「きっとあなたも気に入ると思うから聴いてみて」と言われました。RADWIMPSの『正解』という歌です。
 RADWIMPSとは若者に人気のあるバンド。今から4年前に大ヒットしたアニメ映画『君の名は』のテーマソング「前前前世」を彼らが歌っていましたので、ご存知の方も多いのではないかと思います。
 今から2年前(2018年)、NHK主催で行われた「18祭」というイベントにおいて、RADWIMPSは会場一杯の18世代の若者たちとこの『正解』という歌を大合唱。彼らのアルバムにもその時の合唱バージョンが収められています。
 いつもであれば、ここで歌の一部を流すところですが、ネット中継をしており、著作権の関係もあってそうしたことができません。それぞれの方、ネット検索して『正解』を聴いてください。ここではごく簡単に歌の内容をお伝えします。
 高校生活において大いに刺激を受けつつ、いつも一緒に歩み、その背中を追ってもきた親友と何らかの理由で喧嘩別れしてしまった卒業間近な青年。そんな彼がその親友から離れて、進学でしょうか、独り立ちしていく、そうした中での想いや決意というものが歌われています。
 私が大学に入って最初に学び・感じ、今でも大切にしていることが、この歌にはそのままに響いています。ああ、まさにこうした想いや決断を信愛学舎での生活、早大YMCAでの活動を通じて与えられた、そんな歩みの中で早稲田教会とも出会った、今から40年も前のことを思い起こしながらこの歌を繰り返し聴いています。
 
 この『正解』という歌の終わりの方に、こんな歌詞が登場するのです。
  あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ
  だけど明日からは 僕だけの正解を いざ 探しにゆくんだ また逢う日まで
 こうした想いを心に抱いて、愛する友と別れて高校を卒業し、たった独りで故郷から旅立とうとしている、そんな歌の主人公の想いが歌われています。
 「君のいない 明日からの日々を 僕は/私は」どのように生きていくのか、自分なりに答えを見つけ出していかねばならないと言うのです。もうこれからは正しい答え、客観的な正解などはない世界にいきていく、そうした中で自分としての答えをどう見出していくのかと歌われています。このような歌詞が、今、自分自身が直面している状況に照らして心に染みます。
 こうも歌われています。
  制限時間は あなたのこれからの人生
  解答用紙は あなたのこれからの人生
  答え合わせの 時に私はもういない
  だから 採点基準は あなたのこれからの人生
 歌の最後の最後、実に印象的な次の言葉で閉めくくられているのです。
  「よーい、はじめ」
 18歳になるまで何度も学校や試験会場で聴いた試験開始を告げる掛け声。「よーい、はじめ」、こう聴くと今でも否応なく背筋が伸びます。そのような試験開始の掛け声の響きをもって、新しい人生への出発を自らに促しているのでしょう。
 
 自分たちが期待し、つき従ってきた主イエスが十字架の上で死に、失意に沈み、夕暮れにとぼとぼと都落ちしていた弟子たち。そんな彼らに復活の主はそっと寄り添い、み言葉について解きほぐし、語りかけ、励ましてくださいました。このようにして復活の主イエスとの出会った経験は、弟子たちにとって、心に消えない火、内面が希望に燃やされ続ける、そんな新しい歩みの出発になったのです。それが、今日の箇所の32節、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」という証言の真実ではないでしょうか。
 
 現在、私たちは実に大きな危機、厳しい苦難、不安・試練の只中に置かれています。そうした中で、ぞれぞれの信仰、心の置き所、そして生き方が鋭く問われています。日々の感染者数に動揺し、どうしても失意や諦め、絶望へと強く誘われてしまいます。
 現状をどう考え、どう生きていくのか、自分なりに答えを見出していかねばなりません。このような試練、厳しい問いを受けることの経験もなければ、その答えの導き方も教えられたことがありません。ですから、私たちはみ言葉に立ち返りながら、自分の信仰と人生をかけて、体験を通じて、情報を精査し、自分なりの答えを考え・探し、それを模索しながら生きていかねばなりません。
 復活の主イエスの伴いが必ずある、このことを信じて、「正解」のない歩みであるとしても、信仰的な勇気を持ち、祈りを深めて進んでいきたいものです。復活の主に心を精一杯に燃やされ、現実との格闘を始め、継続していきたいと願います。
 こうした決断へと導かれること、それが今年のイースター、私たち一人ひとり、また早稲田教会に求められている大きな信仰の課題ではないでしょうか。
 触れ合うこと、出会うことはできないとしても、祈り合い、想いを分かち合いながら、しっかりとした信仰を求めて生き続けていきたいものです。私たちに寄り添い、旅を共にしてくださる復活の主イエスに支えられ、答えを探し求めていく一歩をそれぞれに踏み出していきたいと願います。
 
 答えを見出すのに、長い時間が必要なのかも知れません、それでも復活の主に心燃やされ、問い続け、生き続けていく、そのような祈りを新たにしたいと思います。
 歌の最後で、今日の説教を締めくくります。
  制限時間は あなたのこれからの人生 
  解答用紙は あなたのこれからの人生…
  「よーい、はじめ」