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説教

早稲田教会で語られた説教をテキストと音声データで掲載します


2020年5月3日

「いつかは“その後”へ」 エレミヤ書29:10〜14
 古賀 博牧師

 
〈聖書〉エレミヤ書 29:10〜14

(10)主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。(11)わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(12)そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。(13)わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、(14)わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

 
 エレミヤは、紀元前627年に南ユダ王国で預言の活動を開始しました。この預言者の活動中にバビロン捕囚が起こります。紀元前597年、新バビロニア帝国に攻め込まれ、第一次バビロン捕囚が起こります。10年後の紀元前587年に南ユダ王国は滅亡し、第二次バビロン捕囚。これら二度の捕囚によって、約3,000人の民たちが祖国から400キロ以上も離れたバビロニアに拉致・連行されたのです。
 こうした時代の只中で、恐れ惑う民たちに向かい、エレミヤは神への立ち返りを求めました。同時期に偽預言者たちが登場し、国が滅びることはない、輝かしい未来が待っていると語り、喝采を浴びます。民たちは偽預言者の甘言にこそ惹かれ、厳しいエレミヤの預言は顧みられなかったのです。
 
 悔い改めることのなかった南ユダ王国は、エレミヤの預言の通りに破滅に至ります。そうした中、エレミヤは捕囚先で生きる同胞たちに神のみ言葉を取り継ぐために手紙を認めました。その手紙が「エレミヤ書」29章に残されています。
 今日は29章の10〜11節だけを読みましたが、この章の冒頭には、神の御心として、捕囚地にあってもきちんとした生活を送り、バビロニアの人々の平安を祈りつつ、その地に生き延びるようにとの呼びかけがあります。
 こうしたメッセージは、人々の期待を裏切るものであり、簡単には受け入れることができない内容でした。しかし、捕囚は長く続くと示されたエレミヤは、その地、置かれた状況にしっかりと生き延びる、これこそが神の御心だと取り継いだのです。
 
 そして、10節以下に大いなる希望の使信が登場します。10〜11節を読みます。
 「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
 この苦境に生きていくことを神は望んでいらっしゃるのであり、70年先に解放し、再びユダヤの地に連れ戻すということを約束してくださっているのだというのです。
 70年も先… 一世代の交代が25年だと言われますので、ほぼ三世代が交替した後に、解放されるのだというのです。
 
 捕囚されていた民たちは、一時も早い解放を強く祈り願っていました。ところが、エレミヤを通じて示された神の御心を、捕囚の民たちは受けとめることはできませんでした。長い年月、はるかな未来、三世代も後に実現するという解放の希望をきちん受けとめ、なお希望に生き続けるというのは、簡単なものではないと想像します。
 実際、バビロン捕囚は極めて長く続きました。紀元前597年から始まったバビロン捕囚は、紀元前539年にペルシアの王キュロスによる解放によって終了します。それまでの約60年間、捕囚の民たちは自分自身の中に繰り返し起こってきた神への不審の想いと戦い続けねばなりませんでした。
 多くの民たちは、神ヤハウェは敗れ、既に消え去ったのだと、異教の神々や偶像に惹きつけられていきました。ところが、一部には、今日のエレミヤの預言を受け入れ、神の御旨と約束とを信じて、異教の地で信仰を守り通して生きた人々もあったのです。国が滅亡し、指導層が軒並み捕囚され、また国土が完全に破壊されたにもかかわらず、バビロン捕囚を経てもなおユダヤ教が存在したのは、こうした一部の人々の強い信仰にこそ因っています。
 
 民族もその信仰も滅亡の大きな危機に瀕していました。多くの人が絶望していく中に、一部の人々は、祭儀ではなく、言葉を中心とした新しい礼拝を捧げ、神ヤハウェの御心に照らして、今、この苦難・危機にも届けられる神の御旨に聴きこうとしたのです。そうした敬虔な信仰を抱く人々は、なぜバビロン捕囚へと至ったのか、そこに自分たちの罪こそが関与していること、自らの罪を御前に深く悔め、この時も豊かに働きたもう神を深く心に刻んだのです。
 60年間、異教の地で捕囚第一世代が次々に天へと召され、捕囚地で生まれた者たちに世代が交代していく中、イスラエルの民たちの一部は、神ヤハウェを崇めて真実な礼拝を捧げ続け、その信仰によって直面している苦難を、いつの日にかの解放を信じて生き延びていきました。我らの神ヤハウェは、この苦境の中にも我らが生きていくことを望んでいらっしゃる、このことを堅く信じて生き延びたのでした。
 
 オーストリアの心理学者ヴィクトール・フランクル、ユダヤ人であった彼は、ウィーンからチェコスロバキアの収容所、アウシュビッツを経て、ダッハウ収容所に送られます。これらの強制収容所での体験を綴った『夜と霧』は広く知られています。
 解放された翌年(1946年)、このフランクルが母国オーストリアで精力的に行った講演の記録が、『それでも人生にイエスと言う』という一冊にまとめられています。
 今日、改めて確認したいのは、強制収容所における最大の苦悩とは、自分たちの受けている苦痛がいつ終わるのか、その期日を誰も知らなかったという事実です。「もうすぐ戦争は終わる、我々はこの苦痛から解放される」、そんな噂が収容所内に何度も流れたそうです。これこそが皆の最大の関心事だったからでしょう。
 人々は流れる噂を信じては、その度に裏切られていきます。こうして感じる失望は、噂を信じる前よりもずっと深刻なものとなったというのです。解放の期日が幾度となく引き延ばされる、こうした失望の体験を通じて、人間は心身をとことん痛めつけられ、失望は絶望へと変わり、それはついに人間を壊していったと語られています。
 このように多くの人々は絶望へ至っていきました。「私はもはや人生に期待すべきものを何ものも持っていない」と語る、フランクルの表現では「死んだのと同じ状態で生きている」というのが、収容所内での典型的な人生だったと語られています。
 
 しかし、非常に過酷な状況下にあっても、人生への捉え方を180度転換していった人々もあったとのこと。通常、私たちは「〝我々〟は人生から何をまだ期待できるか」と問うものですが、「〝人生〟は我々に何を期待しているのか」と問いを逆転していった人々もあったのです。「無か神かの選択」、こうした選択が、各人の生死の確かな分岐点になった、そのようにフランクルは語ります。
 苦難の只中にも、なお生きていくことを望んでいる存在がある、「神は、このような状態にあっても我々に生きていくことを望んでおられる」、こうした神の御心に気づき、それに満たされることで、人間はどんな苦痛や困難に立たされても、もう一度、自分の人生の意味を取り戻すことができるとのこと。その時に初めて自分の人生の意味を新しく獲得することが可能なのだと、フランクルは語り継いでいます。
 逆転した人生観に立った人々は、日々、深刻な状況や多くの死に直面しつつも、「人生にイエス(Yes)と言おう」との歌を作って歌い、この人生によしと言い得るとの確信に生き続けていきます。フランクル自身もこの確信へと導かれた一人でした。
 ヴィクトール・フランクルは、講演の最後にこう述べています。
 “人間はあらゆることにかかわらず、困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても、人生にイエスと言うことができるのです”。
 
 IPS細胞の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授。この方が、この間、自分は専門外であるとしながらも、コロナウイルス感染症に対して積極的な情報発信を続けていらっしゃいます。そのためのサイトも出来ており、そこにアクセスすると、まず山中伸弥教授のメッセージが大きく目に飛び込んできます。
 “新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです。都市部で市中感染が広がり、しばらくは全力疾走に近い努力が必要です。また、その後の持久走への準備も大切です。感染が拡大していない地域も、先手の対策が重要です。私たちが一致団結して正しい行動を粘り強く続ければ、ウイルスの勢いが弱まり、共存が可能となります。自分を、周囲の大切な人を、そして社会を守りましょう!”。
 この方の語りをしっかりと心に留めて、短距離走ではなくマラソンを走り抜く覚悟・祈り、これへと私たちは導かれたいと思うのです。
 
 3月半ば、イースターを迎えるに当たり、ドイツのメルケル首相は全国民に向けてメッセージを語りました。この首相の演説から、全世界の多くの人々が強い示唆と勇気を与えられていますが、最後の部分の語りを印象的に受けとめました。
 〝私たち国民全員が、このパンデミックから毎日学んでいます。科学者も、政治家も同じです。みなさんの忍耐に感謝します。
 ルールを守り、人との接触を控えてできるだけ家にいるみなさんは、それだけで能動的に良いことをしているのです。この状況下で、どうしたら他の人の力になれるかと考えを巡らせている人も同じです。
 確かにソーシャル・ディスタンスは守らなければなりません。ですが、それが親しみや愛情、連帯感を示す妨げになることはありません。手紙を書き、電話をかけ、スカイプで話し、他の人の買い物を手伝い、自宅でのコンサートをネット配信することもできます。これらの全てが、今の時期を一緒に乗り越えていく力になります〟。
 そして最後の最後、メルケル首相はこのように語りかけています。
 〝“その後”は必ず訪れます。心から祝うことのできるイースター(休暇)はまたやってきます。結果としての素晴らしい生活がいつ戻るかは、今の私たちの手にかかっているのです。共に力を合わせて、この危機を乗り越えましょう。それが、私たちに今できることなのです〟。
 “その後”は必ず訪れる、いつかは判らないけれども、訪れる“その後”は確実にあるのだと語られています。現在の状況が改善され、不安を脱却できる日、普段通りに人々が集まり、語り合い・触れ合い、共に礼拝を捧げることのできる日、そんな“その後”はいつか必ず訪れるのです。
 それまで、私たちは安易な予想や楽観的な観測に躍らされることなく、長いマラソンの道程を粘り強く走りゆく、そんな覚悟を抱き、今できることを為しながら、今こそ捧げるべき礼拝のあり方を模索しつつ共に進んでいきたいと願います。
 
 神は試練、苦難の只中にあり呻く私たちと一緒に立って、必ず私たちを希望の“出口”へと導いてくださいます。こうした愛の神の真実を、今日の招詞、「コリントの信徒への手紙一」10章13節は教えてくれています。いつも申し上げているように、ここに語られている「逃れる道」とは試練の迂回路ではなく、その只中を通っていった先に備えられる希望の“出口”です。希望の“出口”まで、主なる神は試練に悩み・苦しむ私たちの傍らに寄り添い、力強く導いてくださいます。
 そして、今日のエレミヤの預言も深く心に留めたいと思います。「バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
 今すぐに享受出来ないとしても、神は私たちに平和の計画を立てていてくださり、将来と希望を与えようとしておいでです。長き捕囚の期間を生き延びたイスラエルの民たちの敬虔な信仰に、私たちもまた学び、連なってまいりたいと願います。