wasedach_title.png

印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

礼拝説教(テキスト)

2012年1月15日「遠回りして帰ろう」(マタイによる福音書2:1〜12) 有住航伝道師

○11日・17日という「記念日」
 「11日」という日付は、昨年の3月以降、忘れられない、特別な日付となってしまいました。1月11日で、3月11日から数えて10ヶ月が経ちました。被災した地域は冬を迎え、深い雪に閉ざされてしまう地域もあります。慣れない仮設住宅の中での生活、そこで過ごす冬の寒さや厳しさは、どれほどのものなのでしょうか。また10ヶ月経った今でも、原発の状況は良くなるどころか、悪化の一途を辿っている。放射能汚染の恐怖と共に過ごさなければいけない暮らしは、どれほど大変なものなのでしょうか。
 そのような中、毎月毎月、11日がやってくる度に、津波の恐怖を思い出し、気持ちが落ちていってしまう、そんなケースもあるということを、先日友人から聴きました。毎月「11日」という「記念日」が来るごとに、思いだし、悲しみ、苦しくなる。その痛みはどれほどのものでしょうか。想像することは容易ではありません。そこでは、「3月11日」という日付が、過去の、過ぎ去ったものではなく、今も、その被災のただ中にいる、ということなのかもしれません。
 今日は1月15日ですが、二日後の1月17日もまた、そのような悲しい「記念日」となってしまいました。今から17年前の1月17日、大きな大きな地震が、兵庫県南部で起こりました。たくさんのものが壊れ、たくさんのいのちもなくなりました。17年前から、ぱっと見にはすっかり「復興」したように見える神戸の街も、その深い深い傷跡は決してなくなった訳ではありません。阪神淡路大震災から17年、東日本大震災から10ヶ月、「記念日」がまたひとつ、またひとつと増えていく。そのような「記念日」を前にして、わたしたちは、何を思い、何を考え、何を語り合えばいいのでしょうか。

○〈博士たち〉とは誰か
 今日は、マタイによる福音書の2章にあります「占星術の学者の訪問」と呼ばれる物語を共に読んでいます。この物語は、とくに西方教会の暦(こよみ)の中では、イエス・キリストが人々の前に、その神である部分、神性を現した、ということを記念する「公現日」において読まれる箇所として知られています。公現日は、一連のクリスマスの期間の最後に置かれていて、クリスマスの飾り付けなども、公現日を待ってから片付ける、という習慣を持つ教会もあります。マタイ福音書にしか描かれていない、この物語をもう一度、この物語を読んでいきましょう。
 「ユダヤ人の王として生まれたことを、星を通じて知った」という「占星術の学者たち」が、ローマ帝国の属州であったユダヤ地方を統治していたヘロデ王のところにやってきます。この人たちはいったい何者なのでしょうか?
 新共同訳では「占星術の学者」と訳されていますが、ギリシャ語で書かれた新約本文では「マギ」とあります。「マギ」とは、古代ペルシャまたはバビロニア地方に住む、賢者兼祭司のような人々を指す言葉であり、彼らは、占星術と呼ばれた星占いや、夢占いを行っていた人々だったようです。星を見て、はるか東の地からイエスの元へとやってきたのは、このような占星術の学者たちでありました。彼らは、エルサレムにいたヘロデ王のところに立ち寄り、「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいるのか。というのも、わたしたちはその方を星が昇るのを見たので、その方を伏し拝みに来たのである」と言います。
 占星術の学者たちの話を聞いて、ヘロデ王は動揺した、とあります。「ユダヤ人の王」と呼ばれる者が自分の知らないところで生まれた、そのことに動揺したのでしょうか、また、自分の王の地位が揺るがされることを恐れたのかは、定かではありませんが、ヘロデ王は急遽、祭司長たちや律法学者を集め、「キリスト」はどこに生まれることになっているのか問います。「預言によれば、ユダヤのベツレヘムに生まれることになっている」ということを知ったヘロデ王は、そのことを占星術の学者たちに伝えると共に、このように付け加えました。「その幼子のことを詳しく探ってくれ。お前たちが見つけた折には、知らせてくれ。そしたらわたしも行って、その幼子を伏し拝もう。」
 送り出された占星術の学者たちは、ベツレヘムの、とある家の中にいた幼子を見つけ、携えてきた黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげます。ちなみに、贈り物が3つあることから、「三人の博士」の物語と呼ばれていますが、聖書本文には、彼らが何人だったのかについての記載はありません。もしかすると、数十人の集団だったのかもしれませんね。そんな集団がイエスの元にやってきたら、マリアもさぞかし驚いたことでしょう。
 イエスを拝んだのち、占星術の学者たちは、夢でヘロデの元に戻らないようお告げを受けたため、別の道を通って、自分たちの地方へ帰っていきました。もし彼らが、ヘロデのもとへ行き、イエスについて報告をしていたら、どうなっていたのでしょうか。のちに、ベツレヘム周辺に生まれた、イエスと同世代の幼児のいのちを奪おうとしたヘロデですから、イエスやマリア、ヨセフのいのちも危なかったかもしれません。イエスのことを知った占星術の学者たちの身も危険にさらされたかもしれません。そのような<いのち>の危機は、占星術の学者に現われた夢のお告げ、具体的には「別の道を通って帰る」ということで回避されるわけです。
 「別の道を通って帰る」という、何気ないように思える行為によって、〈いのち〉への危機が回避される。このことは、わたしたちに大きな示唆を与えてくれるかもしれません。

○別の道を通って帰る
 大きな被災の状況を前にして、誰もが不安と混乱と葛藤の中にある今このとき、「未来」を見出すことは簡単なことではありません。今までの生き方とは違う、新しい生き方に歩み直すということも簡単なことではありません。けれども、「別の道」はいつも、必ず、用意されている。「この道しかない」と思い込んでいた道のすぐ脇に、別の道へと通ずる小さな道がある。脇目を振らず、成果や力を求めて、邁進するのではなく、遠回りに思えるような道でも、はじめて歩く道で迷ってしまいそうなときでも、夜空にきらめく星が、足元を、行く末を、かすかに照らしてくれる。自分たちのおぼつかない足取りが、そのように支えられているということを、しっかりと覚えておきたいと思います。
「今」の中に「未来」へとつながる道があります。「今/このとき」を大切に、共にここから歩み出していきましょう。