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礼拝説教(テキスト)

2012年3月4日

「小さい者から来る光」(コリントの信徒への手紙一 1:26〜29)
  岩本直美さん(日本キリスト教海外医療協力会[JOCS]ワーカー)


 私は1993年より、バングラデシュという国で暮らしています。イスラム教の国で、日本の3分の1程の国土に、1億6千万人の人たちがひしめくように暮らしています。テレビを通して、毎年繰り返される洪水や貧困の国として、ご存知の方が多いかもしれません。私はこのバングラデシュで、様々な障がいを持つ人たちと共に歩んできました。 私は今、ラルシュというコミュニティで暮らしています。ラルシュとは、フランス語で「方舟」、旧約聖書に出てくる、あのノアの方舟を意味します。ラルシュは知的な障がいを持つものと持たないものが共に暮らすコミュニティで、「方舟」はこの世での歩みを、皆で共に生きていくことを示しています。知的な障がいは、治療をして治るものではありませんので、その障がいと共にずっと生きていくことになります。私たちは、その歩みを、一緒に生きたいと願っています。ラルシュは、特別な治療や教育を提供するところではありません。互いのいのちと賜物を感謝し、互いの弱さを許し受け入れ合いながら共に生活する共同体です。知的な障がいを持つ人たちは、社会の中で多くの場合、あまり価値をおかれていません。私たちのコミュニティには、20名の知的な障がいを持つ青年たち女性たちが共に暮らしていますが、その多くは親や家族から捨てられた後、路上を彷徨い、裸にされ人々にぶたれながら、そうした中を何とか生き延びてきた人たちです。心の奥に深い痛みと傷を負った人たちです。ラルシュで暮らす人たちは、皆イスラム教徒です。彼らと共に暮らしながら、私自身気がついたことは、どれほど深い平和と喜びと恵みが、重い知的な障がいをもつ彼らを通して、与えられているかということです。彼らは平和をつくりだす人と言えます。

 ここで少し、ラルシュで共に暮らす人たちについてお話ししたいと思います。ラッセルという青年と、サルマという女性です。ラルシュで共に暮らしている人たちです。
 ラッセルが来たのは8年ほど前です。彼は首都、ダッカにある刑務所に5年半入れられていました。重い知的障がいと癲癇があり、たびたび発作をおこします。言葉では表現できません。19歳くらいだと思いますが、見た感じは小学生のようです。重い栄養障がいもあり、壊れやすそうなラッセルがなぜ刑務所に入れられたのか、私たちにも分かりません。バングラデシュでは、警察の人たちが、路上生活の子どもたちを、簡単に刑務所に引っ張っていきますので、ラッセルもそのようにして、連れて行かれたのかもしれません。その後ラッセルは、収監されている子どもたちを救済する仕事をしてイギリスの団体の手で、刑務所を出ることができました。
 ラッセルが私たちのところに来た時、食事も自分でとることは出来ず、特に水を飲むことを嫌がりました。最初の頃は小さなスプーンで一匙また一匙と数人で抑えたりなだめたりしながら、水を飲ませていました。恐らく、刑務所では誰もラッセルに水を与えてくれる人はいなかったのだと思います。良く、生き延びることができたなと思います。でも、考えてみると、劣悪な環境であっても、刑務所にいたからこそラッセルは生き延びることができたのかもしれません。そこでは十分ではないにせよ、食事が支給されましたし、共に収監されている大人たちの中に、ラッセルに食事を与えてくれる人がいたのだと思います。バングラデシュでは、刑務所に収監されている人たちの多くが無実の人であると言われていますから、そうした中には心優しい人もおられたと思います。
 ラッセルは最初の頃は無表情にすわったままで、殆ど動くこともありませんでした。親に捨てられ、誰からも愛されない時、人は誰でもそうなるものだと思います。身体も弱く、よく発熱し、そうすると一匙の食事をとることも拒否しました。毎年、今年の冬を越せるだろうかと心配したものです。この子はあまり長く生きられないのではないかと、そんな風に感じていました。でも、ラッセルは守られました。徐々に笑うことを思い出し、今ではよく声をあげて笑います。嬉しい時は小さな両手をタンタンと叩き続け、最近では好きな人の服をギュッと握り、引っ張ってはいたずらをします。私たちのところにきて6年が過ぎるころ、コップを握って自分で水を飲むようになりました。初めて自分の手で水を口にした時、私たちは嬉しさのあまり、店に走ってお祝いに出すお菓子を買い、皆に配ったものです。ラッセルは、これで生き延びることができるのではないかと思いました。この10月に、ラッセルは始めて走りました。横飛びのように、2~3メートルほどですが走り出したのです。びっくりして、皆が集まりました。それまでラッセルは、自分でゆっくりと歩くことは出来ていましたが、走ったことはありませんでした。19歳になって、初めて走り出したのです。その後も、時々タタッタタっと走り出すようになり、そのため足首を2度も捻挫してしまいました。ラッセルの足首はとても細く弱く、走るに耐えるには、まだ十分ではありませんでした。それでも嬉しい時には走り出そうとするラッセルを、気をつけながら見守っているところです。
 ラッセルは私に、それまで私が知らなかったバングラデシュを見せてくれます。ラッセルと一緒に散歩していると道を行き交う人たちが、よく声をかけてくれます。多くは慎ましく暮らす、貧しい人たちです。自転車の後ろに人を乗せて運ぶ仕事をしているリキシャの人たちの中には、乗って行くようにと声をかけてくれる人もいます。「お金もってないの。」と言うと、「お金はいいよ、乗ったらいい。」と、ただで乗せてもらうこともあります。イスラム教国は恐いというイメージを持っておられる人があるかもしれませんが、そのようなことはありません。多くの人たちは、心優しい親切な人たちです。
 ラッセルは私にとり、平和の泉です。他の誰からも与えられたことのない深い平安を、私に与えてくれます。毎日の生活の中で嫌なこともありますが、ラッセルを思うと、怒りがおさまり、自然と平和な気持ちになれます。イエス様が十字架の上で語られた最後の言葉に、「父よ、あなたの御手に私のすべてを委ねます。」という言葉がありますが、このみ言葉に触れる度に、私はいつもラッセルのことを思います。そして、このみ言葉をいつも真実に生き抜いているのは、ラッセルだなと思います。親に捨てられ、路上で彷徨い、刑務所に入れられ、病院を経て、私たちのところにやってきました。彼はそうしたどの時においても、一言の抗議をすることもなく、壊れやすい、もろい命をまるごと見知らぬものたちに差出し、委ねきって生きてきました。このどうしようもない闇を抱えた人間を、そこまで信頼してくれる姿。それは無力な幼子として、馬小屋にお生まれになったイエス様そのままの姿とも言えます。ラッセルが、日々私たちに自分の全存在を差し出してくれるその信頼の深さに、私はよく圧倒されます。そして、神様を信頼し、自分のすべてを委ねて生きるとはどういうことなのかを、私は日々ラッセルを通して学んでいます。 

 サルマのことも、少しお話ししたいと思います。
 私が4年ほど前に始めて出会った時、サルマは人にひどく脅えていました。その頃サルマが暮らしていた家は、麻薬中毒の青年たちや知的な障がい、また精神的な病気を持つ男女子どもたちが一緒に入れられた混沌とした場所でした。髪は男性のように丸刈りにされ汚れたシャツを身につけ、誰かが近づくと興奮して逃げ去りました。食事の時も、それこそ犬が喰らうように食べ物を口に詰め込み、ただ眼光だけは鋭く周囲を見廻し、それは獲物を奪われないようにとする動物のようでした。ひどい苦しみの中にあるサルマを前に、私は成すすべもなく、とにかく毎朝一緒に1時間ほど村のはずれを散歩するようにしました。サルマは痛いほど私の手を握り締め、無言のうちに、片足を少し擦りながらゆっくりゆっくり歩きました。
 他の女性たちを伴ってその施設を去り、小さな部屋を借りて生活を始めてからもサルマは一言も言葉を発することはありませんでした。そんなある冬の夜、私がサルマの様子を見に彼女のベッドに近づいた時、虫がささやくように小さな声でサルマが「カタ。」と初めて言葉を口にしました。カタとはベンガル語で掛け布団のことで、サルマは毛布を掛けて欲しいと言いたかったのです。バングラデシュの冬はとても冷え込みます。それまでサルマは毛布を掛けたことがありませんでした。身体が氷のように冷たくなっていても、気に掛けませんでした。長く辛い路上生活の間、人からぶたれることはあってもケアを受けることはなかったと思いますから、多分サルマにとっては身体が凍えてそのまま死ぬことになったとしても、それはどうでもいいことだったのかもしれません。「カタ」という一言は、サルマが初めて自分の身体に労わりをみせた瞬間でした。
 それから二ヶ月ほどしたある日、サルマが幼子のように両足を前に投げ出して、背中を丸めて、右手と少し麻痺した左手を使ってしきりに何かをしていました。何をしているのかな、とそっと近づいても、少しも気付かないほどでした。見ると、自分の両足についた泥を、よだれを拭くようにと与えられているハンカチで、必死になってこすり落としているのです。声を掛けても気付かないほどにむきになって足をこすっているのです。それはサルマが、初めて自分の足の汚れを気に留めた瞬間でした。それまでサルマは自分の足の汚れを気にしたことはなかったし、私たちと暮らすまではいつも裸足でした。
 それから更に二ヶ月ほどしたある日、私たちはあるお祝いに皆で集まっていました。少し壊れたカセットテープからベンガル語の歌が流れていました。サルマはその前に座り込んでいつものように黙して、その歌に聞き入っていました。と、そのサルマが突然、牛が大ナタで屠殺される瞬間のように大きな悲鳴のような声をあげ、泣き出したのです。それはまるでダムが堰を切った様に突然あふれ出し、叫び声と共に誰もその涙を止めることは出来ませんでした。それはサルマが初めて涙を見せた瞬間でした。
 サルマだけでなく共に暮らす知的ハンディを持つメンバーの殆どが、最初の頃涙することが出来ませんでした。最も信頼できるはずの両親から捨てられ、誰からも大切にされず路上の犬のように逃げ廻って生き延びてきた彼等にとって、涙するには、その心の痛みは深すぎました。泣くことが出来ることが、人にとってどれ程深く大きな祝福であるかを、私はサルマたちを通して知らされました。
 ある日私は、サルマに何気なく訪ねました。「ねえ、あなたのアッラーの神様はどこにいるの?」と。するとサルマはにっこり笑って、私をそっと抱きしめてくれました。サルマが言いたかったのは、サルマと私が互いに労わりあう時、そこにアッラーの神様が共にいて下さるということだと思います。知的な障がいを持つ人たちが、聖なるものを感じとることについて特別な賜物があると、しばしば思わされます。
 サルマはこのようにして、2年が過ぎた頃には見違えるほど笑顔の美しい女性に変わっていきました。櫛を持って自分で自分の髪をとこうとし、「リップティク、リップティク」と言っては、口紅を付けて欲しいとせがみます。よく話し、手を叩いて歌い、皆と一緒に踊るようになりました。サルマがサルマ自身を取り戻し、自分の人間性を取り戻していく姿は、私にとり、十字架のイエス様のご復活の姿そのものでした。しかし、喜びや悲しみを現せるようになるとともに、彼女の深いところに抑え込まれていた怒りも、また噴き出すようになりました。それは他者や自分への暴力という形で現れました。愛して欲しかった親に捨てられ、路上では人々の思うままに乱暴され、知的な障がいのために誰かに助けを求めることも出来ず、何が起こっているのかもわからないまま、泣き叫ぶこともできず、すべてを一人で抱えて生きてきたのです。その怒りと苦しみは、途方もなく深いものがあります。たくさんの薬も功を奏さず、自分の頭の髪を頭皮ごと引き千切り泣き叫び続ける彼女を前に、私は「何故サルマが、これほどまでの苦しみを担わなければならないのか。」と、問い続けました。
 「何故サルマが、これほどまでの苦しみを担わなければならないのか。」これは、誰にも答えられない問いかけです。ただ、私にとって唯一の慰めは、十字架を背負い、惨めな姿で歩いておられるイエス様の存在です。イエス様は、私たち一人一人の惨めさと苦しみの中にいて下さり、その苦しみを共に苦しんでいてくださいます。私たちは、サルマがどこで生まれ、いつ親に捨てられ、路上でどんな風に乱暴されてきたのか知りません。しかしイエス様はその全てを知ってくださっています。サルマの深い痛みと苦しみの一つ一つを、きっと深く理解してくださっており、その苦しみをいつも共に苦しんで下さってきたと思います。このことに、私は深い慰めを見出します。そしてサルマだけではなく、誰からも顧みられず、孤独と苦悩のうちに、やっと今日を生き延びている一人一人にイエス様は寄り添い、共にその痛みと孤独を担ってくださっていると思います。東北の大震災と津波のために、今も深い孤独と痛みの中におられる方々の傍にも、イエス様は寄り添って下さっていると思います。ですから、そのイエス様が、どれほど私たちから愛されたいと望んでおられるかということも、深く感じます。イエス様は無力で惨めなままで、声をだすこともなく、私たちが自分の両手をそっと差し出すのを待っておられると思います。
 ヘンリナウエンという方がおっしゃっています。「神様が聖なるお方でいられるかどうかは、私たち人間の手にゆだねられているのですよ。」と。今この時にも、誰にも知られないところで、寒さと孤独と苦悩のうちに一人で置かれている人が、世界中にたくさんおられると思います。その人たちが人間の尊厳を取り戻し、神の聖性を帯びるようになれるかどうかは、私たちの手に委ねられています。私たちは、もう一度自分自身に問うてみたいと思います。「私は本当に真剣に、小さく弱くされた人たちの声を聞こうとしているだろうか。」と。

 皆さんと一緒に、もう一度今日のみ言葉を聞きたいと思います。
 「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」
 ラッセルもサルマも、無学で無力で、社会からは無に等しい者として扱われてきました。しかし、実際はそうではなかったのですね。彼らの存在を通して、私自身が本当に深い平安を与えられ、変えられてきました。彼らの姿を通して、福音の現実を日々示されています。共に暮らす多くの若者たちが、ラッセルやサルマのような重い知的な障がいを持つ人たちを通して、それまで気づいていなかった自分自身を発見し、深い平安を体験し、すべてのいのちを、ありのままで尊ぶことを学んでいます。
 イエス様にならいたいと思う時、私たちはいつも小さくされている人たちの声を聞き、小さく隅におかれている人たちを見つめ続けることが大切だと思います。そこに、ひそやかに聞こえてくる声があり、小さな、消えることのない光を見ることができると思います。そしてその光が、平和をつくりだす者へと私たちを導いてくれると思います。