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礼拝説教(テキスト)

2013年4月21日(復活節第4主日)

「傷つけるためではなく」

  テサロニケの信徒への手紙二 2章13〜17節

    古賀 博牧師


聖書〉テサロニケの信徒への手紙二 2章13〜17節
13:しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。
14:神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。
15:ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。
16:わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、
17:どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。


○テサロニケの信徒への手紙に関して
 本日は、テサロニケの信徒への手紙二の2章から読んでいただきました。
 この手紙は、テサロニケに建てられた教会、そこへ集って、キリスト者として生活していた信徒へと宛てられたものです。
 テサロニケという町は、ギリシア北東部にあり、ローマ帝国のマケドニア州の州都であり、東西を繋ぐ交通の要所でもありました。
 この町で後にキリスト者となった者たちの多くは、パウロの伝道よりも前には、偶像を崇拝していたとのことです。改宗の後、彼らはパウロの伝えた主の福音に忠実に歩み、この地に建つ教会は順調に成長していったのだといわれています。
 * * * *
 伝統的には、テサロニケの教会へと向けて、パウロは二つの手紙を書き送ったと考えられています。新約聖書には、テサロニケの信徒への手紙一とテサロニケの信徒への手紙二、これら二つの手紙が収められています。
 テサロニケの信徒への手紙一、これはパウロ書簡の中で最も早くに書かれたものとして知られています。紀元50年から52年の終わりまでに、コリントで記されたのだと推察されています。
 * * * *
 テサロニケに主イエス・キリストの福音を伝道したのは、先にも述べたようにパウロであり、教会もパウロの手によって設立されました。この伝道の様子は、使徒言行録の17章に記されていますので、後ほどそれぞれにご確認ください。
 こうして成立した教会の様子について、テモテがマケドニアからコリントのパウロのもとへ戻った後で、テモテを通じてパウロは知らされます。
 愛する弟子テモテから、テサロニケの教会が比較的良い状態にあるとの報告を受け、パウロは教会の状態に安心し、またその歩みが順調なることを喜びます。
 しかし、伝えた福音への受けとめが違っていることにも気がついたのです。そこでパウロは、手紙を認めて、その教会の誤りを正し、神に真に喜ばれる聖なる群れとなっていくこと、それを重ねて強調しました。このようにして記されたのが、テサロニケの信徒への手紙一です。

○手紙二の執筆動機
 テサロニケの信徒への手紙二は、手紙一からそんなに間を置かずに書かれものだと考えられています。現在では、この手紙は真性パウロ書簡ではなく、パウロの名前でもって記された疑似パウロ書簡だと考えられています。
 手紙執筆の動機は、教会内に主の再臨に関する考えの違いが生じていたからでした。もう既に再臨は起こってしまったのであり、テサロニケの教会はそれへと与る機会を逸してしまったのだと主張する人たちがいました。この主張のもと、テサロニケの教会には動揺と混乱があったのです。
 こうした事情は、2章1〜2節からも伺い知ることができます。次のように記されています。「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい」。
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 こうした中、この手紙は、主の再臨の予兆として「不法の者」が登場すると宣べ伝えています。この「不法の者」が、神の力によって滅ぼされることなどが語られています。こうした予兆的な状況について示し、再臨の主が未だ到来していないことを、テサロニケの教会に告げ、彼らを落ち着かせようとしています。
 そして教会の人々に、心を惑わせることなく、まず福音宣教のために祈り、諦めや怠惰に傾くことなく、実生活を通じて主の福音を証して歩むようにと勧めています。

○神の選びと招き
 今日の箇所には「救いに選ばれた者の生き方」と表題が置かれています。
 ここで手紙の著者は、神の選びと招きとを強調し、教会の混乱を、与えられている主の恵みへの立ち返りをもって収めようとしているのです。
 13〜14節を再度読みます。
 「しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです」。
 当時、再臨や終末への理解を取り違えて、仕事を投げ捨てて、家や神殿に閉じこもるようにして、ただひたすら主の到来を待ている、そんな熱狂的に終末を期待する人々がありました。そのようにして、終わりの日に向かって、ただ自分だけを守り、自分だけが救われようとする、そんな人々が教会内にあったというのです。
 こうした誤った信仰の道に歩まぬようにと、この手紙は勧めています。あなたたち一人ひとりを救うために神は、テサロニケの地で最初に主の恵みに与る者たち、大切な初穂としてあなたがたを選ばれたのであり、福音を通じて主イエス・キリストの栄光に与り、それを証するために、テサロニケ教会に集う一人ひとりは招かれているのだ、そう語られています。
 * * * *
 この神の選びと招きにふさわしく生きていく、この点に関して手紙の著者は続けて次のように求めています。15節以下を読みます。
 「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」。
 この手紙の著者は、再臨・終末にだけ注意を向けたり、その情報に踊らされるのではなく、現実の生活の中で主の恵みと教えにしっかりと立って、キリスト者として「善い働きをし、善い言葉を語る」という形で証をなしていく、このことをこそ教会の人々に勧めています。

○改めて『舟を編む』より
 先般、本屋に参りましたら、光文社新書から『辞書を編む』という一冊を見つけました。著者である飯間浩明さんは、1967年生まれの方で、早稲田の一文、文学研究科の出身の日本語学の専門家です。大学院修了の後、研究者としての生活を送っておいででしたが、三省堂の辞書出版部からの誘いを受け、現在は『三省堂国語辞典』の編纂に関わっていらっしゃるとのこと。
 まえがきに編纂と編集の違いが述べられています。この方は言います。編纂と編集、“私は、この二つの言葉を区別して使っています。「編纂」とは、ごく大雑把に言えば、材料を集めて、辞書の原稿を書く仕事です。一方、「編集」とは、その原稿をまとめて、書物の形にする仕事です”。こうした編纂者が国語辞典を作っていく、こうした作業を編んでいくと表現するようですが、表題の通り、『辞書を編む』、この過程を詳しく記した本が出たのです。
 * * * *
 これは明らかにある映画とリンクしてのことでしょう。4月13日からロードショーとなった『舟を編む』、これに併せての命名・出版であろうかと思います。
 『舟を編む』とは、直木賞作家である三浦しをんさんの小説で、昨年の本屋大賞を受賞した一冊です。国語の辞書編集について描いた小説で、この本の装丁は、小説で描き出そうとしている「大渡海」という名前の辞書の外観を示しています。
 大きな海を渡ると書く、「大渡海」という名の辞書。この辞書の名前に込められた思いが、本の中に次のように記されています。

 「辞書は、言葉の海を渡る舟だ…ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために」

 私たちが用いている言葉、それはとても広く深い海のようなもので、そんな広さ・深さのある言葉を思いに従って操るためには、こうした言葉の海を渡っていく舟が必要だというのです。辞書という舟に乗って、その言葉の海に浮かび上がってくる、これはという言葉、今この時を照らす言葉を、光のように集めるのだというのです。「もっともふさわしい言葉で、正確に(私たちの心に浮かんだり、わき上がったりするさまざまな)思いをだれかに届けるために」、そんな作業が必要なのだと語られています。

○傷つけるためではなく…」
  さて、小説の主人公は、上司から辞書編集の仕事を引き継ぎ、監修の国語学者と共に、また後輩の編集者たちと協力して、「大渡海」という辞書の完成を目指していきます。
 言葉の採集、カード作り、学者や専門家への辞書の記述を発注する手続き、紙の選定などなど、かなり細かい点まで描き込まれています。何としても面白いのは、言葉の意味とその理解、そいうした語釈について編集者間で議論する場面など、なかなか読ませる一冊です。
 後に辞書編集部に配属された一人の若い女性編集者は、辞書編集に携わる中で、少しずつ変化し、成長していきます。彼女は自分の変化についてこう語っています。

 「辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向き合うようになって、私は少し変わった気がする…言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった」。

 このようにこの小説は、言葉のプラスの力をこそ語り継ごうとしています。特に次の文章が心に残りました。「言葉と本気で向き合うようになって…傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための(言葉の)力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった」。
 私たちが手に入れるべきは、人を呪ったり、人を傷つけたり、そんな言葉ではなく、何よりも誰かを守る、誰かに思いを伝え、そして誰かとしっかりと関係を結ぶ、このことに力を発揮する言葉や語りではないのかと、この小説は伝えています。
 そして、この小説が指し示す方向は、私たちがいろいろな場面で注意深く聴くべきものではないだろうかと思っているのです。教会という場にあっても、私たちはこの小説の先の一文から、大切な示しを受け取ることができるのではないでしょうか。

○新しい年度の課題として
 最後にもう一度、15節以下のみ言葉を深く味わいましょう。「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」。
 テサロニケの教会の人々のみならず、今日ここに集う私たち一人ひとりも、神によって選び・招かれています。神の選び・招きという恵みに与ることが許されていることを心から感謝して、主の福音に照らされながら、実際の生活の中でどのように主を証し、またどんなあり方でもって福音に生きていくのか、このことをそれぞれに改めて問いたいと願います。
 今日の礼拝後には、2013年度の教会総会を開催します。新しい年度の歩みについて審議・協議し、祈りを合わせて出発したいと願っています。これからの教会の歩みの中で、「傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうため」に、私たちはそれぞれに与えられている賜物・個性を輝かせていく、こうした使命が与えられていることを共々に確認したいと思うのです。