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礼拝説教(テキスト)

2013年5月12日(特別礼拝)

「いのちの与え手」

  ヨハネによる福音書 15章5〜17節

    長沢道子さん(牧ノ原やまばと学園理事長)


聖書〉ヨハネによる福音書 15章5節
5:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしのつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。


○大切にしているみ言葉
 初めてこの言葉に接したのは、中学三年生の時。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」という言葉は心にスラスラと入ってきました。
 私がとても大事にしているみ言葉です。

○鈴木千奈津さんのこと
 「わたしにつながっていなさい」と語られるイエス様。イエス様につながることに関して、私どもの施設に通っていた鈴木千奈津さんと星野富弘さんとの出会いについてお話します。
 千奈津さんは小学二年生の時、脳の動脈瘤摘出手術を受けましたが、血管が破裂し、四肢麻痺や言語障害などの重い障碍を負うことになりました。
 千奈津さんの体は実にか細く、ストレッチャーの上に横たわる彼女は全く無力な感じで、言葉も無いので、大抵の人は、コミュニケーションは全く取れず、何も考えていないのではと思ったりするようです。重い障碍を持つ人々や高齢の方々は、このような誤解を受けることがしばしばあるのです。彼女も外見上からはそんな誤解を受けるひとりでした。しかし実際には、お母さんの愛に満ちたケアと訓練の結果、麻痺した手で詩を書いたり、絵を描いたりできたのです。
 千奈津さんは、星野富弘さんに刺激されて創作活動を始めたので、ぜひとも星野さんに会いたいと切望していました。
 星野富広さんは、元は中学の体育の教師。模範演技をしていた時、着地に失敗し、マットに首から落ちて、以降、首から下の自由を失った方です。口に絵筆をくわえて絵を描き、詩を書かれます。作品完成迄には、相当の時間がかかりますが、彼の描く詩画は多くの人々の心を打ち、日本中に知られるようになりました。

○千奈津さんと星野富弘さんの出会い
 「メイク・ア・ウイッシュ」(夢をかなえる)という、障碍者や病人の願いを実現する活動をしている団体があります。幸いなことに、千奈津さんはこの団体の協力を得られることになりました。
 1998年9月26六日、待ちに待った星野さんとの対話が実現したのです。
 対話と言っても、千奈津さんは言葉が話せませんから、麻痺した重い腕をお母さんに支えてもらい、手に筆をもって字を書き、それをお母さんが読み上げる形でした。
 千奈津さんは、震える手で一生懸命に書きました。「先生、こんにちは。先生にお会いできて、とてもうれしいです」。
 そして、この日のために書いた手紙を、お母さんに読んでもらいました。
 「私は小学二年生で不自由な身体になってしまいました。…これから先のことを思うと、不安でいっぱいです。私はみんなのように結婚はできないでしょうから、姉が結婚したら私はどうしたらよいのでしょう。ひとりぼっちで、お母さんが介護できなくなった時のことを思うとつらくなります。家の人達は心配しなくてもいいよと言ってくれるのですが、先生はこんなときもありましたか」。
 星野さんはこう答えました。「将来が不安だというのはよく分かるよ。私もそうだったし、今もそうだよ。不安は人間皆が持っているもので、誰しも同じなんだよ。聖書に、『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです』(新改訳)と書いている。また、明日のための心配を今日しなくていいと、伝えているよ。だから、今日を精一杯生きることが大事なんだよ」。
 千奈津さんは、またこんな質問もします。「私は話すことができません。だから、誰かに助けてもらわないと自分の気持ちを伝えることができません。話をすることができたらどんなに素晴らしいかと思います。先生、私はどうすれば話すことができるでしょうか。部屋中がシーンとなる中、星野さんは丁寧に答えました。
 「声を出してしゃべるだけがすべてじゃない。声というのは、ほんの一部で、あなたはいろいろな所から声以上の『声』を発しているんだよ。だから、千奈津さんの言葉は、聞こえる人には聞こえるんだよ」と。
 何と智慧に満ちた言葉でしょうか。「話せない」という、どうにもならない千奈津さんの障碍について、星野さんは、あなたはいろいろな声以上の声を発しているんだよ、それを聞ける人もいるんだよと語られたのです。
 星野さんの言葉に励まされ、千奈津さんは、力んでいた肩の力がぬけたと語りました。そして、今まで以上にさわやかな詩を創り始めたのでした。

  私は人に囲まれてた
     心に包まれていた
  幸せが周りをおおっていた
     ありがとうね
  そっと心と耳をすませてみると
     私にも聞こえるよ
  ほら仲間の声と仲間の鼓動が
  一人じゃない
     聞こえるものね
  あなたの心も

 この3年後に千奈津さんは召されましたが、彼女は星野富弘さんと話し合うことによって、心が解放されたのでした。

○「命が いちばんだと思っていた頃」
 星野さんにも、イエス様の言葉を知らなかった時代があります。その頃は、障碍者になった自分の運命に絶望し、死ぬことばかり考えていたのでした。
 「私は死にたいと思ったことが何度もあった。けがをした当時は何としても助かりたいと思ったのに、人工呼吸がとれ、助かる見込みがでてきたら、今度は死にたいと思うようになった。動くことができず、ただ上を向いているだけで、口から食べ物を入れてもらい、尻から出すだけの、それも自分の力で出すことすらできない、つまった土管みたいな人間が、果たして生きていてよいのか。舌をかみ切ったら死ぬかもしれないと考えたりした。食事を食べないで餓死しようともした。が、はらがへって死にそうだった。母に首をしめてもらおうとも思ったが、母を殺人犯にさせるわけにはいかなかった」。
 そんな星野さんですが、聖書の言葉を読み、祈るようになり、だんだんと変えられていったのでした。
 こんな詩を創っています。

  命が
  いちばんだと思っていた頃
  生きるのが苦しかった
  いのちより
  大切なものが
  あると知った日
  生きているのが
  嬉しかった


○イエス様につながることで
 夫の長沢巌が予期せぬ障碍者になり、私も想定外の人生を歩むことになりました。牧ノ原やまばと学園の理事長として責任を担う一方、重度の心身障害者となった夫の介護も、という日々を二〇数年にわたって続けることになったのです。
 必死に働き疲労困憊したというよりは、むしろイエス様につながって、主のお助けに感謝しつつ、心安らかに歩んだ日々でした。多くの人々にも助けられました。
 巌に代わって私が理事長になった時は、やまばと学園の最大の危機と言われましたが、にもかかわらず、以来かえって活動は広がり、地域の中に浸透していくものとなりました。
 それは、やまばとの働きが、私たち人間の力によるものではなく、神さまの恵みとお助けによるもの、神の業であることを証していると思います。
 やまばと学園の活動は人々に愛と希望を届けるものです。何よりも、まず私たちが、まことの命を与えて下さるイエス様に、「神様、今日も力ない者に、力を与え、貴方の愛の内を歩ませて下さい」と祈る必要があります。
 これからもそのように歩み、神さまがどんな人をも愛しておられることを、広く人々に証していきたく願っています。