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礼拝説教

2013年6月23日(聖霊降臨節第6主日)

「制約や限界の中でも」

  マタイによる福音書 25章14〜30節

    古賀 博牧師

聖書〉マタイによる福音書 25章14〜30節
14:「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
15:それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
16:五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
17:同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
18:しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
19:さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
20:まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました』。
21:主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
22:次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました』。
23:主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
24:ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25:恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です』。
26:主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
27:それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
28:さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
29:だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
30:この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう』」。


○タラントンとは?
 今日はマタイによる福音書25章から、主イエスの語られた有名な譬え話、「タラントンの譬え」を読んでいただきました。
 今日の箇所は、こう語り出されています。

 天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

 ここで主人が僕たちに預けている財産としてのタラントン。これは、古代ギリシャ・ローマ・イスラエルに共通した貨幣単位です。1タラントンは6千デナリ相当だと辞書にあります。1デナリとは、今から2千年前の1日の労働報酬に当たります。つまり1タラントンは6千日分の賃金で、計算しますと約16年分の労働者の収入だと考えることができます。1タラントンとは、かなりの額であることをご理解いただけるかと思います。
 このタラントンという言葉は、今日の譬えから英語のタレントの語源となりました。英語のタレントとは「才能・能力・手腕・人材」等と訳されます。こうした英語的な意味を当てはめて、今日の箇所が読まれることも多いのですが、教会では、神が一人ひとりの人間に与え・備えてくださっている使命や賜物への示しとしてこそ、この譬えを読み継いできました。

○福井達雨牧師の語り
 1タラントンを預かった人の姿に注目しましょう。他の人が与えられた使命に向かって、タラントンを用いて使命に生きたのに、「一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた」のでした。
 30年程前、この教会にお出でになった福井達雨牧師。若者たちの集会にて、この譬えを取り上げて語られました。福井先生が取り継いでくださったメッセージを、私は今も時に触れて思い起こします。

「1タラントンを預かった者が、一生懸命何かにチャレンジしたにもかかわらず、預かったお金を全部無くしてしまったとしよう。そうしたら、神は彼に対して逆上して怒っただろうか。
 私は、そうは思わない。一生懸命にチャレンジした結果、全部すってしまったとしても、神は彼に向かって『怠け者の悪い僕だ』とはおっしゃらなかっただろう。結果如何にかかわらず、きっと『忠実な良い僕だ』と言って下さったに違いないと信じる。
 一番の問題は、恐れを先立て、自分の弱さを理由に、賜物を全く用いようともしなかったことだ。全部無くしてもいい、全部使い切ってもいい。君にも与えられている神の賜物を、自分のためだけではなく、他者のために、この社会、そして世界のために使うことが大切だし、賜物を精一杯に用いていく生き方にこそ、神の励ましはあると、私は信じる」。

 私たちは、先行きに様々な困難を予想し、後ろ向きな想いになったり、怖じ気づいて一歩が踏み出せないでいることがあります。また自分の置かれた環境を嘆き、課せられた制約や突き当たった限界を前に、身動きが取れないでいることがあるのではないでしょうか。
 さまざまな状況の下にあっても、タラントンを活かしていけるのか、このことを共々に考えたいと思うのです。

○天へと召されたW・A子姉
 過ぐる6月6日(木)午後4時に、W・A子さんは世田谷区にある老人ホームの自室にて静かに天へと帰られました。肝臓癌の悪化に伴ってのこと。85年の生涯でした。この地上での全ての業を終えられて、天へと上っていかれたのでした。
 ご遺族の希望で、前夜式・葬儀は、W・A子さんが長くお過ごしになった山梨県上野原市にて執り行うこととなり、奏楽のために小田嶋靖子さんに同行いただき、6月12日(水)より一泊二日で出かけ、上野原のセレモニーホールにて葬儀を執り行ってまいりました。
 W・A子さんのご主人W・S郎さんは、東京医科大学の学生であった時代、当時、諏訪町にあった友愛学舎でも生活もなさり、長くこの教会に所属して信仰生活を送られました。古くから交わりを感謝しながら、W・A子さんの葬儀に参列したいと思っていらした兄弟姉妹たちも多くありましたが、今回、遠くでの葬儀でしたので、皆さん出掛けられませんでした。そこで、ご遺族がお出でくださるこの機会に、姉妹を記念して、礼拝を捧げたいと思いました。
 * * * *
 先に申し上げた通り、6月6日(木)に天へと帰られたW・A子さん。連絡を受け、彼女を祈りをもって天へとお送りするため、翌日の午前中にホームを訪ねた私でした。
 長男・Kさんは診察のために上野原に戻られ、長女・Aさん、次女・Mさんがお母様に寄り添っていらっしゃいました。ベッドの上、とても穏やかな寝顔のW・A子さん。姉妹が最晩年の6年を過ごされた明るく素敵な施設のお部屋にて、聖書を読み、彼女の額に手を置いて、姉妹を天へとお送りする枕頭の祈りをご家族と共に捧げたのでした。

○プロの歌い手を目指していらしたW・A子さん
 お部屋の壁には、彼女の写真がたくさん飾られていました。お誕生日の時、美しい花々に囲まれての素敵な笑顔の写真が印象的でした。ホームにて、W・A子さんの明るさや笑顔が、お仲間の方たちを深く慰めていたと伺いました。
 ベットサイドのデスクには、大きな讃美歌が置かれていました。W・A子さんは、同じホームに暮らすクリスチャンの方に請われては、車椅子で出掛けて讃美歌を歌っていらしたとのこと。大きな版の讃美歌を示しながら、ご家族がそのように語ってくださいました。
 その生涯を歌と共に過ごされ、神から自分に与えられている賜物を常に輝かせよう、そうした祈り願いを抱いて歩まれた姉妹でした。
 * * * *
 お兄様の助けと執り成しを受け、京都から東京に出て、東京芸術大学の前身、東京音楽学校にて声楽を学ばれました。長坂好子先生に師事され、卒業の後には恩師の主催するオペラ・コンサートにて、ソプラノ歌手として、それも主役やソロ、トリを務めるプロの歌い手として活躍なさったのでした。
 当時のプログラムをご家族が幾つも保存していらっしゃいます。若き山本直純さんなどと共にオペラ・コンサートに出演されていた、活躍のご様子を知らされます。有名なオペラ、ルチアを歌える唯一の日本人歌手として、その名を広く知られていたA子さんでした。
 * * * *
 W・S郎さんから強く請われて結婚されます。結婚当初は、東京の中野で生活しながら、病院勤務のS郎さんを支え、家庭生活と音楽活動とを両立させていらっしゃったのでした。
 しかしながら、S郎さんが大月市の病院に赴任することを決断され、このことで、そのプロの歌い手としての道や音楽活動への願いが一旦は完全に断ち切れてしまう、そんな辛く厳しい体験もなさったA子さんでした。

○道がまさに拓かれようとした時に
 移り住まれた山梨でも音楽の道が拓かれる、後にそんな機会に恵まれます。その出発とすべく備えていた甲府でのコンサート、その直前に夫・S郎さんがひどい交通事故に遭われます。
 1964年11月のこと。トラックとの正面衝突。一命を取り留めたS郎さんですが、実に長い入院・治療が必要となり、大月の病院から東京医大病院への転院し、約1年に亘る入院・療養の生活を余儀なくされたのでした。
 看病と世話のため、A子さんはS郎さんに長期間、付き添われたのです。小学生であった長女Aさんさんは、お手伝いさんと共に大月に残り、幼い長男Kさん、次女Mさんはそれぞれ遠くの親戚に引き取られ、一家離散となってまで、お父様を支えられた1年でした。
 この事故は甲府でのコンサートの1週間ほど前のこと。このコンサートで、A子さんはコンサートのトリを取って、歌うこととなっていました。しかし、夫の交通事故、出演を断念。その後、1年の長きに亘る看病に専念されることとなります。
 足に障害が残ったS郎さんは、大月からさらに東京寄りの上野原に転居し、そこで奈良信さんが設計された洋風の自宅兼診察所で診療を始められます。この転居により、甲府での音楽活動は難しくなりました。何よりも歌うことを大切にしてこられたA子さんにとって、本格的な音楽活動を諦めざるを得ない、そんな断腸の思いを伴っての転居であったのです。
 その後、長期間にわたって歌を封印して、足に障害を残された夫・S郎さんをひたすらに支え、新たに上野原に開業された病院の事務や経理などを新たに能力を開発して担い、また同時に三人のお子様たちの子育てに力を注がれました。
 かなり時間が経って後、上野原にて地域のコーラスグループとの関わりが開かれ、再び音楽への情熱を燃え立たせることとなりますが、そこに至るまで、実に長い苦悶の日々を送られたのでした。

○問題はどのように用いようとしたのか
 こうしたW・A子さんの人生についてのお話をご家族から伺いながら、私の心には自然と「タラントンの譬え」が思い起こされました。
 タラントンという多額の資金を預かった三人の僕の姿を通じて、神から授かっている賜物の用い方について語り継がれている、主イエスの譬え話です。
 この譬えにおいて最も重要なのは、成功することだとか、新たにお金を儲けるということではありません。それぞれの力に応じて、状況に応じて、神から預かり・授かっている力・個性・賜物をどのように用いようとしたのか、神に示された使命へ向かって、それぞれが人生の歩みを通じて、預かった神の賜物を精一杯に使ったかどうかということなのです。
 通常、私たちはせっかく授かっているものを世と人のために用いようともせず、穴を掘って隠すような、そんな生活を送っています。そうした者への厳しい示唆を語り継いでいる、それが主イエスの「タラントンの譬え話」です。
 * * * *
 W・A子さんは、プロの歌い手としての道を閉ざされてしまいます。しかし、ただ嘆きに暮れ続けたのではなく、与えられた働きと場にあって、他の賜物の開発に努力され、足に障害を抱えた夫とその診察所とを支え、三人のお子様たちを教育し、長男Kさんを跡継ぎとして育て上げ、S郎さんと同じく地域医療に奉仕する道へと導かれたのでした。
 かなりの時間が経過した後、地域のコーラスグループとの関わりが開かれ、再びその賜物を用いながらの歩みへ導かれます。その賜物の用い方とは、若い時期、プロを目指して活動していた頃とは、全く違った形だったことでしょう。しかし、焦りなく、落ち着いた形で、再び歌の賜物を輝かせて進まれたのではなかったでしょうか。

○成果ではなく、経過を見てくださる神
 晩年、独り暮らしが難しくなったW・A子さんは、6年前に世田谷のホームへと移り、少しずつ進んでいった痴呆と闘いながら過ごされました。
 ある時、少し生気を失ったようにも見えるお母様のことを思い、元気を出してもらおうと、彼女が若き日のコンサートプログラムを、ご家族はホームへご持参なさいます。
 それから1週間の後、彼女は突然に自分の心にある思い、それがどんなに小さなものでも、全て歌で表現されるようになられたとのこと。長く封印しておられたとしても、彼女の内に常に歌が響き、溢れんばかりなっていたということではないでしょうか。
 最晩年、再びその歌の賜物を静かに用いて、施設のお仲間たちのために讃美歌、その他を歌い続けられたのです。ホームの自室に飾られたお写真のように、歌い続けることで、素敵な笑顔を示され、周囲に親しまれて、その生涯を全うされたのでした。
 そんなW・A子さんは、いま神の御許にあって、「忠実な良い僕だ。よくやった」、あらゆる機会に賜物を用いようとした、そのあり方の故に主なる神からのお褒めに与っておいでだと信じます。
 * * * *
 私たちの人生も予期せぬ方向転換や、紆余曲折が生じます。そうした中で、自分を取り囲む環境を嘆き、さまざまな制約や限界の故に賜物を地に埋めたままのような生活を送っていることがあります。そうした中でも、神に与えられている賜物の開発と活用にこそ祈りを傾けたいものです。思ったようにではなくても、その人の祈りつつの精一杯の働きを、神は必ず「忠実な良い僕だ。よくやった」と喜び受け入れてくださるのではないでしょうか。
 W・A子さんの信仰の遺産を、ご遺族と共に引き継ぎながら歩みを進めてまいりましょう。