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礼拝説教

2013年9月1日(聖霊降臨節第16主日)

「弱いものが集ったほうが…」

  コリントの信徒への手紙二 12章7〜10節

    古賀 博牧師


〈聖書〉コリントの信徒への手紙二 12章7〜10節
7:また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
8:この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
9:すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10:それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。


○深刻な病を抱え込んだパウロ
 今日は、「コリントの信徒への手紙二」の12章から、パウロの祈りに対して、主イエスから届いた答えが記されている箇所を読んでいただきました。
 伝道者パウロの人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。ダマスコ途上で復活の主と出会い、迫害者から一転、伝道者へ変えられて以降、主に小アジア地域を伝道旅行して歩んだパウロですが、その旅路で多くの患難・苦難も出遭わざるを得ませんでした。
 * * * *
 パウロが経験した患難・苦難の中で、最も大きく、かつ深刻であったのは、彼がその身体に抱えてしまった病であったといわれます。パウロの抱えていた病に関しては諸説があり、病名ははっきりと分かってはいません。しかし、それが深刻な病であったのは事実のようです。
 パウロの病とは彼の伝道の活動が軌道に乗り、次々に新しい教会が生まれている時に、突然発症し、パウロを深い苦悩に叩き込んだのでした。そして、この病は完全に癒されることはなかったのです。
 * * * *
 深刻な病を抱えて、癒してほしいと、パウロは繰り返し神に祈り求めました。7節後半から8節にかけてこう告白されています。

 それで、そのために思い上がらないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。

 「三度」とは、繰り返し必死にという意味です。何度も深く祈らざるを得ない苦しみを、パウロは抱えていたのでした。

○期待した答えではなかったが
 このような必死の祈りに、ついに主の御心が届きました。しかしそれは、期待したものとは全く異なっていました。9節前半にこうあります。

 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

 主から答えを与えられて、パウロは次のように自分の状態をとらえ返しました。かなりの葛藤と時間的経過があってのことでしょう。

 だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

 「満足しています」には、「喜ぶ」という言葉が用いられています。置かれた状況を諦めて仕方なくに受けとめたのではなく、本当にこれで良かったと「喜んでいる」というのです。

○パウロの第二の回心
 ここに告白されているのは、パウロの第二の回心に関してでしょう。通常、パウロの回心とは、ダマスコ途上での復活の主との出会いを指します。ユダヤ教の急進派で、キリスト者迫害の最先鋒にいたサウロが、復活の主と出会って劇的に回心するという有名な出来事です。
 急進派で迫害の最先鋒が、一転して困難を突破しながら突き進んでいくキリストの伝道者となったというこの回心、両者には“強さ”が共通しているように感じられます。
 そんなパウロは、癒されない病を通じて、「弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態」をも、キリストにあって本当にこれでよかったのだと“喜ぶ”とまで変えられたのです。特に絶望の只中で「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」との主イエスの御言と出会ったとの告白に心打たれます。
 ここから導かれたであろうパウロの新しい人生を思います。彼の心情の転換、真実な信仰の深まりとうものに、より確かで深みを持った、もう一つの回心の様を見ることができるように感じます。

○26歳でガンを抱えることになった新聞記者
 もう随分と前ですが、朝日新聞の「天声人語」に、自社の新聞記者が、その癌体験、闘病生活について記した本を出版したと書かれていました。その新聞記者は、26歳という若さだとのこと。上野創さんの『がんと向き合って』という一冊のことでした。
 上野創さんさんは、早稲田大学を卒業後に朝日新聞社に入社し、横浜支局社会部の記者を担当していた26歳時に、睾丸腫瘍との診断を受けたのです。ただちに左の睾丸を手術によって切除しますが、すでに癌は肺全体に転移しており、ここから実に長い闘病生活が始まります。その体験記を、彼は後に朝日新聞の神奈川版に一年にわたって書き記し、それがまとめられて一冊の本になりました。
 「天声人語」には、がんを発症してから、当時の恋人との顛末が短く記してありました。本の紹介にもそのことが次のように記してあります。

 心配なのは恋人のこと。「僕は、この先どうなるかわからない〈不良物件〉」。ところが彼女は、「大丈夫、私がついているから」とにっこりした。さらに数日後、彼女はいきなり満面の笑顔で言ったのだ、「結婚しよう」。

 上野さんの恋人は、同じ支局に勤める3歳年上の先輩女性記者。手術の2日後に、彼を見舞ったその女性は、ベッドサイドで「結婚しよう」といきなり切り出し、病室で結婚を決めた彼らは、そこから二人三脚で病との闘いを進めていったというのです。
 * * * *
 先の文章を読んで、私は驚きました。この女性、女性に対しては失礼かとは思いますが、何と剛胆な方なんだと思いました。しかし、ある覚悟と不安を抱きながらの決心だったのです。
 上野創さんと結婚した美佐子さんは、とにかくも家族となり、彼が突然背負い込んだ荷物を一緒に担いたかったと記し、こんな毎日だったのだと後書きに告白しています。

 結婚した当初は、常に「死」の影に怯えていた。彼を見舞っている時はよかった。仕事をしている時も平気だった。問題は一人になってから。夜、疲れた体で布団に横たわっても、神経は冴えきっていた。ひとたび「この先、どうなるんだろう」と考え始めたら最後、怖さがどんどん膨らんでいく。本棚から、飾っていただけの聖書を抜き出して胸に抱き、幼い頃に覚えた祈りの言葉を繰り返しつぶやいて、ようやく眠りにおちた…。 

 隠れたところで日々捧げられていたキリスト者である彼女の祈りに、また彼女の明るさと前向きさとに支えられながら、上野創さんは闘病生活を続けていきます。

○鈍感な「強者」
 闘病の生活の中で、彼は変化していきます。それまで社会部に所属し、常に特ダネを追い求め、他の新聞社との厳しい競争に生き、他者を蹴落とすことに命の賭けていた彼。ところが、闘病生活の中で次第に、彼の興味関心は、こうした競争にではなく、もっと静かで、新聞紙面の底や裏側に流れているもの、記者たちの記事や取材の背後に微かに見え隠れする、この世で必死に生きている人々の思いや心の声に惹かれていくようになったのだそうです。
 苦しみや喜びを抱えて生きる、そんな人の姿を切り取った記事を何度も読み返し、その人の心の奥まで想像し、また投書が載る「声」の欄は必ず開いて、一所懸命に生きている人の肉声を味わうようになったとのこと。
 この変化を後に、上野さんはこう振り返っています。

 そう、がんの体験は多くのきっかけを与えてくれた。あの忌まわしいヤツめは、ひどい試練をもたらすと同時に、あらゆる授業をはるかに上回る学びの機会を与えてくれたのだ。自分や他人の一生について真剣に考えたことは今までなかったし、自分の弱さといや応なく向き合わされることもなかった。鈍感な「強者」になっていた自分に気づいたのも、世の中にあふれる幾多の苦しみや悲しみに思いをはせるようになったのも、すべてがんがきっかけだった。花や木々の色、風のにおいや雨の音に敏感になった。移りゆく季節を味わい、惜しんでいる自分がいる。

 鈍感な「強者」という表現が心に残ります。苦しい闘病生活を経て、多くの人々が抱える苦しみや悲しみにこそ思いをはせるようになったと、上野創さんは記しています。
 * * * *
 鈍感な「強者」。往々にして、私たちも鈍感な「強者」として生きています。気がつくと、他者の痛み・苦しみに思いを馳せることを忘れています。しかし、期せずして遭遇する試練を通じて、神と新たな出会う、自分の生き方を見つめ直す、そうした機会が与えられます。
 パウロもまた、鈍感であったかどうかは分かりませんが、確実に強者として歩んでいました。ユダヤ教の熱狂的信者で、キリスト教迫害の先頭に立っていた時、また回心して伝道者となり、次々に伝道旅行をなし、各地に教会を建てていた時、この人もまた確実に強者でした。
 しかし、一転して深刻な病を抱えることとなり、深い悩みの淵に落とされます。逃れようのない厳しさの只中で、自分の欠けや弱さだけを見つめざるを得ない時に、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」との主のみ言葉に出会ったのです。そして、癒されぬ病を抱えつつも、新しい力を得て使命に歩み続けました。
 この主のみ声は、私たち一人ひとりの「弱さ」「欠け」にも必ず、何らかの形でもって届けられると、私は信じています。

○印象的な星野富弘さん詩
 24歳時に、事故のために脊椎を損傷し、首から下の一切の自由を失われた星野富弘さん。彼の最初の詩画集は『風の旅』、これは1981年に出版されました。
 この詩画集に印象的な一編の詩が置かれています。自らの障害・「弱さ」を見つめつつ、その障害・「弱さ」もが神にしっかりと受け入れられ、受けとめられている様から、菊の花、小菊の花に添えてこう詩っています。

 よろこびが集ったよりも 悲しみが集った方が しあわせに近いような気がする
 強いものが集ったよりも 弱いものが集った方が 真実に近いような気がする
 しあわせが集ったよりも ふしあわせが集った方が 愛に近いような気がする

 実に逆説的な詩です。「悲しみが集った方が」「弱いものが集った方が」「ふしあわせが集った方が」とうたわれています。そうしたマイナスはないに越したことはありません。しかし、このマイナスの方がとこの人はうたったのです。
 * * * *
 この詩の背後に、パウロが祈りの内に受け取った主イエスの御声が静かに響いているように感じられます。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」との主の語りかけが響いているように思うのです。
 この世の現実とは違い、それを逆転したあり方にこそ主イエスの福音があり、こうした思いへと気づき、導かれるようにと、どなたにも主イエスのあたたかな祈りと深い愛とが注がれています。

○弱い者の集いとしての教会へ
 今日の招詞(コリントの信徒への手紙一1章26節)にこう記されていました。

 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。

 ここに神の選びと招きの真実があります。恵まれ、力ある者たちが選び・招かれるのではありません。弱き者、欠けたる者をも、神はみ業のために選び・招き、用いてくださいます。
 そうでありながら、コリントの教会は成長した後、霊的な賜物に欠ける者を次々に切り捨て、排除するようなあり方へと傾いていきました。この事実からも、人間は容易に鈍感な強者へと成り下がっていく罪ある存在であることを、私たちは常に意識する必要があります。
 * * * *
 しかしながら、いとも簡単に他者を切り捨てるという鈍感な強者のあり方や方向には、神の御心はありません。星野富弘さんは次のようにうたいました。「強いものが集ったよりも 弱いものが集った方が 真実に近いような気がする」。教会という場所は、こうでありたいと願います。
 一人ひとりが自分のあり方を見つめ直し、それぞれの弱さや欠けも互いに証し、隠さず明らかにし、それを共に理解し、受けとめ合いながら、真実に御心に添った共同体を形づくっていきたいと、心から祈り願っています。
 そう福音を受けとめていく一人ひとりとして、秋からの信仰の歩み、この教会の活動を進めてまいりましょう。