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礼拝説教

2013年6月16日(聖霊降臨節第5主日)

「風に吹かれて」

  使徒言行録 16章6〜10節

    有住航 伝道師

聖書〉使徒言行録 16章6〜10節
6さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。
7ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。
8それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。
9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。
10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。


○パウロらの直面した困難
 本日の聖書箇所はパウロらがエルサレム会議の後に2回目の伝道旅行に出かけた、その序盤の描写から始まります。第2回伝道旅行は第1回目と異なり、すでに宣教した地にある教会を訪れるのが目的であり、比較的スムーズな旅程だったにもかかわらずその旅の始まりから波乱含みでありました。
 旅の出発に際して、これまで活動を共にしてきたバルナバとパウロとの間で、マルコと呼ばれるヨハネを伝道旅行に連れて行くかどうかに関しての激しい衝突があり、結局二人は別れ別れになってしまいます。バルナバはマルコと呼ばれるヨハネと共にキプロス島に船出し、パウロはシラスとテモテと共にアンティオキアから出発して、シリア州、キリキア州を抜け、まっすぐ西に進み、以前訪れたリストラとデルベを訪れます。
 パウロらの予定ではおそらくそこからまっすぐ西へ進んで、アジア州の州都であるエフェソを訪れるつもりでしたが、聖霊によってアジア州に入ることを禁じられ、北へと方向転換することを余儀なくされます。さらに北へ進んで行こうとしたところ、今度はイエスの霊によってこれ以上進むことを許されず、今度は西へと進路を取り直すことになります。旅のはじめからバルナバとの衝突と別れがあり、さらに聖霊によって当初予定したコースを取ることができず、思わぬ方向へとパウロらは進んでいくことになります。
このパウロらの道行きを地図で確認してみましょう。デルベ・リストラからまっすぐ西に進んでエフェソに向かうことができなかった一行は大きく北へ迂回をしながら、最終的には当初の目的地であったエフェソのはるか北にあるトロアスという港町に到着しています。これはもう遠回りを通り越して予定とまったく違う町に来てしまっています。
 このパウロらの道行き・迂回した道筋は、まるで小さなヨットで海を渡ろうとする航海のように見えます。パウロらが歩んだのはもちろん海ではなく陸路ですが、まるで大海で風に翻弄されながらフラフラと航海を続けるヨットのように見えます。当初予定したコースを大きく外れ、パウロたちはこの思い通りに行かない旅路をどのように感じていたのでしょうか。そこには戸惑いや、焦り、もどかしさがあったのかもしれません。港町トロアスに着いたころには途方にくれ、この先どのように進むべきか悩んでいたのかもしれません。

○風、吹かれるものとしての聖霊
 旅路の中で聖霊、そしてイエスの霊がパウロに現れます。ここでの「霊」とはギリシャ語の「プネウマ」という言葉で表現されています。「プネウマ」という単語は「吹く」という意味の動詞から派生した言葉です。プネウマという言葉には「吹かれるもの」「漂うもの」という意味が含まれます。使徒言行録2章のペンテコステの出来事でも聖霊が降る際に「激しい風が吹いてくるような音」がしたとありますが、聖霊とは吹かれるものであり、神から吹く命の息を表します。聖霊は聖書を通して「風」として表現されています。

○風向きが変わる
 聖霊という風に押されるようにフラフラとトロアスに漂着した夜、パウロは夢の中で幻を見ます。その幻の中にマケドニア人が現れ、パウロに向かってこのように言います。「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください。」
 パウロらはおそらく当初の予定通り、まっすぐエフェソを目指して旅を続けるつもりだったのでしょう。しかしその計画は聖霊やイエスの霊によって阻まれます。まるで逆風に吹かれて往生するヨットのように、パウロらはフラフラと進路変更を繰り返します。それでもパウロらはエフェソを目指し続けました。しかしトロアスでパウロに現れたマケドニア人の幻はパウロらの予定とはまったく違うマケドニアの地を指し示します。
 この幻との出会いによって「パウロは確信した」とあります。これまで聖霊を自分たちの計画を阻む「逆風」として捉えていたパウロでしたが、もしかするとパウロは幻の中でのこのマケドニア人との出会いによって「風向きが変わった」と思ったのかもしれません。これまで逆風だと思っていた風は、マケドニアへと自分たちを押し出してくれる「順風」、「追い風」へと変わった。これまで自分たちの行方を阻んでいるように感じていた霊は実はマケドニアへと進むように導いていたものであった。パウロは幻によってそのことに気づかされたのです。

○風まかせの航海
 私は子どもの頃からディンギーと呼ばれる小さなヨットに乗っていました。モーターやエンジンなどを利用せず、風の力だけで進むヨットの操舵はとても難しいものです。ヨットはいつ吹くかも分からない風のみを頼りにしなければならず、風が吹かなければまったく船を動かすことができない乗り物なのです。
 さらにヨットには絶対的なルールがあります。それは風が吹いてくる方向、つまり風上に向かっては決して進むことができません。風上に向かう場合はジグザグに進んでいくほかありません。一方、風を背に受けることができれば、つまり追い風ならば、船はとても楽に進むことができます。風がまったく吹かなければ、船は進まず波に流されてしまうでしょうし、反対に風が強すぎて嵐になると、船はコントロールを失って難破してしまいます。航海というものはまさに風まかせのものなのです。

○よい風は必ず吹く
 波乱に満ちた幕開けであったパウロらの第二回伝道旅行は、このように元々の計画の変更を余儀なくされながらも、聖霊、イエスの霊、そしてマケドニア人の幻という、3度にわたる神の導きによって、当初の計画にはなかった新しい目的地を指し示されることになります。そしてパウロらはこの後導かれるままにマケドニアからフィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントへと旅を続け、最終的には当初の目的地であったエフェソへと到着することになります。
 このようなパウロらの道行き、風に吹かれて思いもよらないところに流されていく有り様は、まるで私たちの人生そのもののようです。私たちは自分の思い通りに何かを成そうとしても、うまくいかないことが大抵です。計画通りに進めようと思っても、どうしても計算違いや予定とは異なる出来事が起こってしまう。そんな時私たちは落ち込み、「なぜこうなってしまったのか」と考え込んでしまいます。落ち込み、考え込み、迷いながらも、フラフラとおぼつかない足取りで少しでも歩みを進めようとする。そしてまた困難に直面する。いろいろな方向から吹く風に吹き寄せられながら絶えずフラフラと歩んでいくのが私たちの人生なのかもしれません。
 ヨットは風上に向かっては決して進むことができません。大きな海の上の小さなヨットの上で私たちは風を感じ、風の音に耳を澄ましながら進んでいかなければなりません。
 神は私たちに聖霊という風を通して私たちの進むべき方向を示されます。それは時に遠回りに感じられることもあるかもしれません。「そっちには進みたくない」という方向に向けて風が吹くこともあるかもしれません。目的地から離れていくことに不安を覚えることもあるかもしれません。しかし、迂回のように思えても、遠回りに思えても、その道行きは単なる徒労には終わりません。風が吹かなければ、風を待てばいい。風が強すぎてしんどいときは、風がやむまでじっとしていればいい。聖霊の導きは私たちの行く手をはばむものなのではなくて、私たちを新しい世界へと押し出してくれる力なのだと思います。やまない雨がないように、よい風は必ず吹く。私たちもまたよい風が吹くのを待ちながら、共にこの世へと出かけて行きましょう。