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礼拝説教

2013年9月22日(聖霊降臨節第19主日)

「〈証言〉する声」

 ヨハネ福音書 21章20〜25章

    有住航伝道師

〈聖書〉ヨハネ福音書 21章20〜25章
20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。


【「ナヌムの家」を訪れて】

 8月に「青年の旅」という、キリスト教のエキュメニカルなネットワークである「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」、略して「外キ協」が主催する、青年の現場研修プログラムに参加してまいりました。この旅において、さまざまな現場を訪れ、さまざまな人と出会いましたが、その中のひとつに「ナヌムの家」がありました。

 「ナヌムの家」とは、アジア・太平洋戦争において、日本軍から性的な労働を強いられ、日本軍「慰安婦」として性暴力の被害にあったハルモニ(「おばあさん」という意味の朝鮮語)たちが共同生活をしている場です。1992年に開所され、現在では7名のハルモニが生活しておられます。この「慰安婦」という呼称は日本軍が用いたものであり、性暴力の被害者であるハルモニたちの実情に即していないということで、近年では「日本軍戦時性暴力被害者」などの呼称に変更されています。この経緯を踏まえつつ、この説教ではナヌムの家の歴史館にならい、括弧付きで「慰安婦」という呼称を用いることとします。

 「ナヌムの家」には「日本軍『慰安婦』歴史館」があり、ナヌムの家を訪れる人々に、ハルモニたちの身に起こったこと、戦争による性暴力の被害についての「証言」を語り継いでいます。わたしたちが訪れた時には、ハルモニたちは他の用事のため直接お会いすることはできませんでしたが、日本人のボランティアの方がおられ、歴史館を案内してもらいました。

 ハルモニたちの多くは、10代のときに誘拐、あるいは割の良い仕事があると騙され、日本軍の「慰安婦」として強制的に働かされました。1992年に一人のハルモニが「自分は日本軍の性暴力被害者だった」と名乗り出るまで、かのじょたちは日本軍による性暴力の被害をずっと心に秘めたまま、何十年も生き抜いてこられました。この一人のハルモニによる「証言」をきっかけにして、「自分もそうだった」と名乗り出るハルモニたちが声を挙げはじめ、現在まで234人の方が公に証言されているそうです。おそらく実際にはもっとたくさんの被害者の方々がいたと思われますが、その多くは自分たちが「性暴力の被害者であった」ということを誰にも語らずに亡くなられたか、今もそのことを心に秘めたまま生きておられるのだと思います。2013年現在、名乗り出たハルモニの中でご健在の方は90名ほどだそうです。

 ナヌムの家の歴史館で見せてもらった映像の中で、自分の身に起きたことを切々と語るハルモニたちは、繰り返し「わたしたちの身に起きたことを知ってほしい」「これは嘘ではない」と語っておられました。10代のときに、生まれ育った土地から強制的に連れ去られ、性暴力の被害を受け続けた女性たち。戦後、連れ去られた場所に置き去りにされ、その被害の経験をずっと心に秘めたまま何十年も生きてきたハルモニたちの人生、そのあまりもの重さ。

 しかし、ハルモニたちの、自分の身に起こったことの、この〈証言〉を「不正確であいまいな証言」であるとし、「信頼するに足りない」と考える人々がいます。この人々は、そもそも「強制的な慰安婦制度などはなかったのだ。かのじょたちはビジネスとして関わっていたのだ」と主張し、ハルモニたちの〈証言〉が事実だというのなら、あいまいな記憶に基づく〈証言〉ではなく、「確かな物的証拠、物証を出せ」と言ってはばかりません。

 ナヌムの家のハルモニたちの身に起こった「苛酷な記憶」を、あいまいな記憶に基づくものであると断罪する、このような物言いは一体何なのでしょうか。大阪市長の橋下徹氏は、つい先日も「慰安婦制度は必要だ」と発言していましたが、彼は「物証」が限られていることをよく分かった上で、「じゃあ国際法廷で白黒はっきり付ければいいじゃないか」と威勢良く語ります。彼は「物証」がなければ「裁判に勝てる」と考えているのでしょう。証言は物証よりも弱い、というわけです。

 しかし、たとえ「物証」が限られていようと、いまこのときを生きているハルモニたちの存在こそが、かのじょたちが語る〈証言〉こそが、何よりの「証拠」ではないのか、そう思うのですが、しかし、当事者の〈証言〉が「信用するに足りない」とされてしまう。この状況はいったい何なのだろうと思います。もちろん、客観的な証拠が大切なのは分かりますが、当事者の〈証言〉というものが、あまりにも軽んじられているように感じられるのです。


【目撃の〈証言〉としての福音書】

 復活したイエスがペトロの前に現れますが、復活のイエスとペトロとの邂逅を描く物語に「イエスの愛しておられた弟子」と呼ばれる人物が登場します。この「イエスの愛した弟子」は何者なのでしょうか。ヨハネ福音書では、「あの夕食」、すなわち「最後の晩餐」のときに、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である、と説明しています。

 続く24節では、「イエスの愛した弟子」がヨハネ福音書を書いた、と説明されているので、この「イエスの愛した弟子」がヨハネ福音書の作者であった、ということになります。2世紀のキリスト教会は、この記述を根拠にして、ヨハネ福音書を記したと説明されているこの「イエスの愛した弟子」を12弟子の一人であったヨハネであると考えています。この「イエスの愛した弟子」が本当に12弟子の一人であったのか、それとも架空の人物であったのかについては、実際のところはよく分かりません。

 けれでも、もし、ヨハネ福音書が記しているように、イエスと共にいたこの「イエスの愛した弟子」がヨハネ福音書の作者であるとすれば、ヨハネ福音書は、イエスと出会ったことのない者たちの手によるものではなく、むしろ実際にイエスと出会い、共に活動した人物による「目撃証言」であったということになります。
 わたしたちは、なんとなく、福音書を書いたのは、イエスの時代よりもずっとあとの人々、直接イエスを知らない人々の手によるものだと考えていますが、しかし、もしかすると、イエスの言葉や振る舞いを描き出している福音書というものは、イエスにまつわる様々な事柄がまだ人々の「生きた記憶」であった時期に書かれたものだったのではないか、という可能性も十分に考えられるのです。

 福音書の中で一番早く書かれたのはマルコ福音書であると言われていますが、マルコ福音書はまだ多くの目撃者が生きていた時代に書かれ、それよりも後に書かれた他の福音書、マタイ、ルカ、そしてヨハネ福音書は、目撃者の数がだんだんと減っていく時代の中で書かれたものであり、いま福音書が書き記されなければ、目撃者の「証言」が失われてしまうという、危機感の中で、福音書は書かれたのではないか、ということです。そのように考えると、福音書というものは、イエスについての単なる伝聞や英雄物語のようなものではなく、実際にイエスと共にいた人々による目撃証言を集めた「証言集」のようなものであった、ということができるかもしれません。

 当時の権力に抵抗し、ローマ帝国やイエスラエル国家ではない「神の国」という新しいヴィジョンを示そうとしたイエスの言葉や振る舞い、また十字架刑によって処刑されたにもかかわらず、そのイエスが「復活した」ことを証言する福音書は、当時の権力者たちからすれば、まさに「信頼するに足りない」証言であったに違いありません。それどころか、イエスたちを恐れた権力者たちからすれば、そのようなイエスの〈証言〉は、なかったことにしたい「不都合な証言」だったことでしょう。

 福音書の〈証言〉は、それを聴きたくない、なかったことにしたい人にとっては、「信頼に足りない」証言でしかありません。しかし、そのような中にあって、自分の見たことを〈証言〉し続けた人がいました。そして、その証言を文字に書き起こした人がいました。そのような人たちの〈証言〉によって、イエスの言葉と振る舞いは、後の時代にも「生き続ける声」となったのです。


【〈証言〉を聴くこと=〈証言者〉になること】

 ナヌムの家のハルモニたちは、「慰安婦」問題を「なかったことにしてしまいたい」人々に対して、自分の身に起こったことを「語り続ける」「証言する」ということによって、真っ正面から向き合ってきたのです。しかし、いまそのハルモニたちが、また一人また一人と亡くなっていく状況があります。わたしたちは「歴史の裂け目」から聞こえてくるハルモニたちの「声」を、その「証言」を、どのように聴き、そしてその「証言」を「生き続ける声」にしていくことができるのでしょうか。

 福音書の中で「証しする」「証言する」と訳されている言葉は、「マルトゥレオー」というギリシャ語です。この「マルトゥレオー」には、証しする・証言するという意味の他に、「殉教する」という意味があります。ギリシャ語において「証言すること」と「殉教すること」は同じ言葉で表現されています。このことはわたしたちに「証言」ということに関して、新たな気づきを与えてくれるかも知れません。

 「殉教」というとなんだか物騒ですが、わたしたちが誰かの「証言を聴く」ということは、単に客観的な判断材料としてその証言を扱うということではなくて、「証言」を聴いた自分もまた、その「証言」を自らの身に帯び、「証言」を新たに語り継いでいく働きに開かれていくということ、すなわち、自分もまたそこから「新たな〈証言者〉」になっていくということを、「マルトゥレオー」という言葉は示しているのではないかと思います。

 わたしたちの周りには、様々な裂け目が生々しい傷としてぱっくりと開いています。さまざまな問題がわたしたちの日常は溢れています。そのような困難な状況の中で、わたしたちはただ「見る」ことしか、ただ「聴く」ことしかできないかもしれません。ただそこに立ち尽くすことしか、その場に居合わせることしかできないかもしれません。けれでも、わたしたちが福音書から読みとるメッセージは、それでもその場に居合わせ、「証言」を聴いたわたしたちが、今度はわたしたち自身がその「証言」を語り継ぐ者へと、〈証言する者〉へとなっていく、その可能性に絶えず開かれているのだ、ということではないかと思います。

 わたしたちの〈証言〉は、おぼつかなく、つたない、言葉足らずの「声」ではあるかもしれません。しかし、そのか細い〈証言〉の一つ一つが、新しい〈いのちの物語〉を紡いでいくのだと、わたしは信じています。一人一人の小さな〈証言〉を紡ぎ合わせて、新しい〈いのちの物語〉を描き出すために、知恵を出し合いながら、一緒に歩んでいきましょう。